見た目も言葉も違う相手とは、少しずつ分かり合える。なのに、同じ血を引く家族とは分かり合えない。
今村翔吾さんは、その人間の不思議を『海を破る者』に描いた。(全3回の第2回)
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なぜ元寇の物語に「ウクライナの少女」が登場するのか
――主人公の脇に、今でいうウクライナ出身の少女・令那と、高麗出身の青年・繁が登場しますね。なぜこの組み合わせだったのでしょうか。
今村 一つは、元寇がいかに世界規模の出来事だったかを伝えたかったからです。
モンゴル帝国は一番東側の日本から、一番西側はポーランドまで攻め込んでいる。統治していた一番西の国は今の東欧やウクライナ地域なので、一番東と一番西の地域にまたがっている世界的な出来事だということをまず知っていただきたかった。
だから東と西で土地を追われた人がいる、戦った人がいるということです。
――現在のウクライナ情勢を受けて考えた設定ではないんですよね。
今村 この物語の基礎を文藝春秋に最初に見せたのが2016年頃で、ウクライナ侵攻よりはるか前なんです。
もっと言えばクリミア半島の併合ぐらいの頃から、このウクライナを舞台に書いていた。
連載中にキエフからキーウに表記が変わったりとか、タイムリーすぎて正直、複雑な気持ちになりましたね。
「なんで兄弟とは、こんなに分かり合えないんだろう」
――六郎が、見た目も言葉も違う令那や繁と心を通わせていく過程が、この小説の肝だと感じました。
今村 六郎は愛媛県の人たちから「変人奇人」と思われている人物なんですが、あの昼ドラみたいな家に生まれたからこそ、子どものころから「人って何なんだろう」をすごく考えるような子だった。
だからこそ、逆に見た目や言葉の違いはすんなり受け入れられた。
一方で、見た目が違って言葉もなかなか通じないものとでも、ちょっとずつ分かり合っていけるのに、「なんで兄弟とかおじさんと、こんなに俺たちは分かり合えないんだろう」となる。
この対比が、この物語の一つのポイントですね。
ただの元寇小説じゃなくて、家族とか人のつながり、愛や人種、いろんなテーマをここに込めたつもりでいます。
