十何万人が同時に「何のために戦っているのか」と気づけば、戦争は終わるはずだ。

 それでも人は戦い続ける。今村翔吾さんは、その理由を小説の中で考えてきたという。(全3回の最終回)

◆◆◆

ADVERTISEMENT

元寇で「日本人」であることを知ってしまった

――元寇以前の鎌倉時代の人たちは、「外国」をどう見ていたのでしょうか。

今村 今の県民性が、もっともっと色濃い時代だったと思います。

 四国の愛媛の人は高知の人とは一緒にやりたくない、讃岐の人は計算高くて苦手、みたいな。

 それが四国が近畿と戦うときは「オール四国」になるように、初めて海外という敵を見たときに、「日の本、日本という国があるんだ」と認識したんだと思う。

 それまで彼らは愛媛県人だったんですよ。

 幕府というのも、今で言えば国連みたいな、ちょっと遠い存在くらいだったんじゃないかな。

 それがこの元寇を経て、日本という単位で考えられるようになっていった。

 元寇で日本人であることを知ってしまった――良いも悪いも、それがここから始まったんじゃないでしょうか。

 

十何万人が同時に夢から覚めたら、戦はやめられる

――「何のために戦うのか」という問いが、この作品のもう一つの核心にあると感じました。

今村 元軍を見ていると、十何万人がみんな会ったこともないチンギス・ハンのために戦っているわけじゃないですか。

 その十何万人がハッと同時に夢から覚めたら、戦はやめられるはずなのに、それが難しい。

 僕は、人は「戦う」という概念を知ってしまったから、もう止まれないと思っているんです。

 戦うという文字があって、戦うという概念が生まれた瞬間に、中毒性のある何かになってしまっている。

「戦うという病原に対するワクチンは何なんだろう」

――収録したのは、終戦の日の翌日でした。

今村 この8月、「なぜ人は争うのか」と毎年同じことを言い続けているじゃないですか。

 戦争を根絶することはもうできないかもしれない。

 でも、1%、0.1%と少なくしていくことはできるはずだと思っていて。

 その「戦うという病原に対するワクチンは何なんだろう」ということを、常に小説の中で考え続けています。