十何万人が同時に「何のために戦っているのか」と気づけば、戦争は終わるはずだ。
それでも人は戦い続ける。今村翔吾さんは、その理由を小説の中で考えてきたという。(全3回の最終回)
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元寇で「日本人」であることを知ってしまった
――元寇以前の鎌倉時代の人たちは、「外国」をどう見ていたのでしょうか。
今村 今の県民性が、もっともっと色濃い時代だったと思います。
四国の愛媛の人は高知の人とは一緒にやりたくない、讃岐の人は計算高くて苦手、みたいな。
それが四国が近畿と戦うときは「オール四国」になるように、初めて海外という敵を見たときに、「日の本、日本という国があるんだ」と認識したんだと思う。
それまで彼らは愛媛県人だったんですよ。
幕府というのも、今で言えば国連みたいな、ちょっと遠い存在くらいだったんじゃないかな。
それがこの元寇を経て、日本という単位で考えられるようになっていった。
元寇で日本人であることを知ってしまった――良いも悪いも、それがここから始まったんじゃないでしょうか。
十何万人が同時に夢から覚めたら、戦はやめられる
――「何のために戦うのか」という問いが、この作品のもう一つの核心にあると感じました。
今村 元軍を見ていると、十何万人がみんな会ったこともないチンギス・ハンのために戦っているわけじゃないですか。
その十何万人がハッと同時に夢から覚めたら、戦はやめられるはずなのに、それが難しい。
僕は、人は「戦う」という概念を知ってしまったから、もう止まれないと思っているんです。
戦うという文字があって、戦うという概念が生まれた瞬間に、中毒性のある何かになってしまっている。
「戦うという病原に対するワクチンは何なんだろう」
――収録したのは、終戦の日の翌日でした。
今村 この8月、「なぜ人は争うのか」と毎年同じことを言い続けているじゃないですか。
戦争を根絶することはもうできないかもしれない。
でも、1%、0.1%と少なくしていくことはできるはずだと思っていて。
その「戦うという病原に対するワクチンは何なんだろう」ということを、常に小説の中で考え続けています。
