その後、遺体安置所で順子さんと対面した。首のあたりに傷はあったが顔はきれいなままだったという。

「棺があって、顔の部分だけが開いてて。順子の顔を見た時に、無念っていう言葉が一番に出てきました。助けを呼びたかったんだろうなとか、なんで助けてあげられなかったんだろうって」

1996年、小林順子さん(写真提供:小林賢二さん)

「お姉さんが狙われていたのかもしれないよ」

 自宅を放火され、帰る家を失い、母・幸子さんの友人宅に家族3人で身を寄せた。

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 幸子さんは順子さんを失ったショックで食事も取れないほど憔悴しきっていた。

 決して一人にしないようにと、家族や友人全員で寄り添った。

「何とか解決に協力しなきゃって一心でした。毎日、署にも向かいましたし、見たくない現場検証も行きました。泣いている余裕がなかったのかもしれないです」

 亜希子さんは残された両親を支え、捜査にも協力しなければと必死で気を張り続けていた。事件から3日ほど経った時、昼食をとっている時にふと、湧き出た感情を忘れることができないという。

「すごく悲しいはずなのにこんな時でもお腹が空くなんて。お腹が空くって生きてるっていう感情から出てくるものじゃないですか。罪悪感というか、順子に申し訳なくて」

 さらに、亜希子さんは事件直後に捜査員から言われた言葉が今も忘れられない、と静かに話し始めた。

「もしかしたらお姉さんが狙われていたのかもしれないよってさらっと言われたのを覚えてて。もし間違えて妹が狙われてしまったのなら、余計に怖くなって」

 順子さんと亜希子さんは、周囲からはよく似ている姉妹だと言われていた。

 事件の半月ほど前には、亜希子さんの部屋の電話に深夜の無言電話もあった。

 犯人の動機も分からない以上、その可能性を自分の中で、完全には打ち消すことができなかった。

「小中学生時代まで遡って考えた時に、どこかで相手を怒らせてしまったことがあったのかもしれないって後から思って。それを恨みに思われていたら……。動機が分からないから、自分の可能性も捨てきれないと思ってしまって」

 亜希子さんはやがて眠れなくなり、睡眠薬を飲むようになった。

次の記事に続く 妹の事件後「このまま結婚していいのかな」と…上智大生(21)殺害放火事件から30年、姉がテレビで顔を出すと決意した理由

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