しかし橋上代行の就任発表から17日後の11月18日、清武元代表が球団を追われてしまう。読売グループのトップ、故渡邉恒雄氏に反旗を翻したためだ。辞めさせられた清武元代表の肝煎りでやってきた橋上代行は、逆風にさらされた。
秋季キャンプで宮崎に向かう。原辰徳監督(当時)のもとにあいさつに行くと、「実はオレはあなたがチーム内で、何の、どういった任務にあたることになっているのか、球団からはまったく聞いていないんだ。正直なところ、どうしたらいいのか戸惑っているんだよ」。橋上代行は著書『だから、野球は難しい』の中で振り返る。これに対し清武元代表は「何度も説明したが、彼の頭にはなかったのだろう」と言う。
当時の気持ちを橋上代行は、その著書に「一部のコーチのなかには、『清武さんのスパイだ』『清武案件』などと揶揄する人もいたかもしれない。言うなれば、現場の人たちからしてみれば、私は“招かれざる客”となってしまったわけだ」とも書いている。実際に辛いことが、いろいろあったのだろう。
「巨人のエピソードは一切書かないで」
清武氏の解任1カ月後、マスコミ対策のため広報部長として、読売新聞グループ本社社長室から2度目の球団出向を命じられた私も、橋上代行に失礼な対応をした一人だ。
シーズンに入ると、野球に関する本を出版する計画を橋上代行から聞かされた。球団は清武元代表の解任問題でマスコミの注目を集めていた時期だった。「広報の責任者として、この時期の出版を、出来ればやめてほしいというべきなのだろうか」。私は悩んだ。
そこで、「巨人軍内で起きたエピソードは一切書かないでください」。私の冷たい言葉に、橋上代行は柔和な表情のまま、「わかっています。約束は守ります」と応えた。「現・読売巨人軍一軍戦略コーチ」という肩書で、「しのぎを削る野球界で見た『伸びるヤツ』の条件」を副題でうたった本だけに、「巨人軍の今」という要素は必須だったはずだ。
しかし、すでに球団幹部が出版計画を知り、内部で厳しい対応方針が示されていた。それが橋上代行にはお見通しのようだった。間にはさまり、どうしようか顔を曇らせている私に、「鈴木部長のやさしい気持ちは表情を見ただけでわかります。ご配慮に感謝して対応いたします」と頭を下げた。相手の表情を見て、瞬時にその気持ちをくみ取る。そしてだれも傷つけないように対応する。今も現場でその橋上代行らしさが全く変わっていないと感じた。
しかも、この時もグラウンド上では逆風に負けなかった。就任からリーグ3連覇に貢献。最初の年は日本シリーズで優勝した。
