だがリーグ3連覇を果たした14年は、クライマックスシリーズで敗れた。球団幹部から呼び出される。当時打撃コーチの肩書の橋上代行に「解任ではなく、『辞任』というかたちで身を引いてもらえないだろうか」。著書『だから、野球は難しい』にそう言われたと書かれている。それが事実なら解任である。3年連続のリーグ優勝に貢献したのに。
今、その悔しさをリベンジするチャンスがめぐってきた。それを一番喜んでいるのは、清武元代表のはずだ。自分が呼んだ男が、阿部前監督の逮捕、辞任という球団最大のピンチを救おうとしている。セ・リーグ3位から交流戦中にトップに浮上させた。さらに秋にかけて戦いは白熱していくだろう。リベンジにかけてきた清武元代表の生きざまと、橋上代行が重なって見える。
その清武元代表に、今の思いを尋ねてみた。「橋上監督代行には異能のしぶとさと洞察力を感じる。エリートと生え抜きを重んじた巨人になかった『よそ者』の力だ。一時の不遇を嘆かず、耐えて学んだ非エリートの力のような気がする」。
「清武の乱」のその後
清武元代表の解任の直接のきっかけは、2011年11月11日、記者会見を開いて、渡邉氏を激しく批判したこと。私はその様子を、当時職場の読売新聞社から飛び出し、文科省会見場で見つめていた。清武元代表に何があったのか、自分の目で確かめたかった。
一度は渡邉氏に報告し了承を得ていたつもりだったヘッドコーチ人事などが原因だった。
渡邉氏の発言でそれが揺れていた。清武元代表は、涙ながらにその正当性を訴えた。彼の涙を初めて見た。
だが球団はそれを許さなかった。会見から7日後、球団代表を解任され、職場も追われた。突然収入も失った。片手に余る訴訟を戦う。古巣の仲間たちがじりじりと後ずさりしていった。清武元代表がかつての仲間の携帯電話を鳴らすと、「電話しないでください」「社内であなたと話せないから」。
「ともに立ち上がります」と言った記者すら、後に「私と会ったことは絶対に言わないでください」と腰が引けたという。写真週刊誌にも狙われた。家族の涙も見た。食事も喉を通らず、わずか1週間で4、5キロやせた。
「今日は死ぬのにとても良い日だ」。そんなことを時々つぶやいていたのを、清武元代表の著書『記者は天国に行けない 反骨のジャーナリズム戦記』で知った。
読売新聞社会部警視庁記者クラブ時代から指導を受けていた私には、清武元代表は昔から恐ろしい存在だった。私自身が厳しい叱責に記者を辞めようか思い詰めた日々もあった。その「鬼軍曹」が、自らの「死」を意識するほど追い込まれていた。私自身愕然とした。
それから14年余。今や誰もが認める国内屈指のノンフィクション作家になった。文藝春秋読者賞、講談社ノンフィクション賞などを次々と受賞。人気俳優・大泉洋主演の「ディア・ファミリー」のように、映画や、テレビドラマの原作になる作品も増えてきた。
そこまで彼を突き動かしてきたのは何か。単なる悔しさだけではないだろう。かつて追い込まれて辞表を隠し持つようになった頃、元熱血マネージャーの熱意に動かされ、「絶対に辞めない」と心に誓ったことがある。その約束を破ったものの、今も「義」のために闘い続ける背中を彼に見せたくて、自分を奮い立たせているように見えた。
〈後編(9月18日公開予定)に続く〉

