住田 あまり意識はしなかったというのが正直なところで……。『白鷺立つ』を書いたときは「誰も書いていないものを書こう」という気持ちが強かったんですが、今回は、誰もが知っている出来事を、誰も語っていない視点で書けたらと思っていました。
光秀視点で本能寺の変を書いた作品は多いと思いますが、「左馬助から見た光秀」という視点で書かれたものは、あまりないんじゃないかと思います。そもそもそんなに歴史小説を読んでいないので、誰のどの作品とかぶっているかどうかはよく分からないし、今も知りたいとは思わない。
というのも、誰も書いていない視点で書きたいなら、本来ならもっとほかの人のものを読んで勉強しろという話ですが、読むとどうしてもその世界観に引きずられてしまう。だから極力読まない。そのかわり、自分の中から出てくるものを信じる、ということかもしれないですね。
――作品には中間管理職の辛さというテーマも込められているように感じました。
住田 確かにそうですね。上も下も好きなことを言ってくるのを何とかいなす……それが中間管理職の本質だと思っているのですが、戦国時代も同じで、光秀は信長というあり得ない上司を持ちながら、家臣たちとの関係も抱えている。このテーマは最初に書いたときから変わっていないし、改稿作業でむしろ強まったように思います。
秀吉は織田家という組織を愛していたかというと……それは私のイメージでは懐疑的で、秀吉は利用できるものはなんでも利用できると考えている人だろうと思っています。その点も光秀とはまったく違っていたのではないでしょうか。
改稿中“味がしなくなった”
――デビュー作と2冊目では刊行時の感慨は異なりましたか。
住田 実はこの作品は、最初に書き上げてからもう5年ぐらい経っているものなんです。それを編集者の方とともに5か月以上も改稿する中で、さすがに味がしなくなってつらかった時期もあったんですよ。
――味がしなくなるというのは比喩として?
住田 どんなに好きな味のガムでも、ずーっと噛み続けていたら味がしなくなるように、自分でこの物語の良さが見えなくなってしまって。最初に書き終わったときは「これは面白いはずだ」と思っていたんですが、あまりに時間も経ちましたし、視点も構成も修正を求められていくうちに、だんだんこの物語を本当に世に出していいのかなという思いが強くなっていったんです。
ただ、いま振り返ってみると、突っ込みがあったのは物語の筋自体にというよりも、小説の見せ方のところだったんですよね。助言を受けながら見せ方を工夫していったという意味では、非常に良い経験でした。そしてこうやって本になってみて、やっと「味が戻ってきたな」と感じています。きっと読者のみなさんにもおいしく味わっていただけるのではないかと思っています。
