「(飯塚には)自分の経験を社会に還元してほしい」「彼の発言は凄い影響力があるよ。世の中に警鐘を鳴らすことができるんだから」
「許せるかどうかは、ちょっと言えないんですけど」
遺族の意向を加害者側に伝えたい。そこで、私は飯塚家を支援しているNPO法人ワールドオープンハートの阿部恭子理事長を通じ、飯塚の長男へ何度もメッセージを送った。
長男のメディア不信は根深かったが、交渉開始から3年が経過した頃、私は長男と面会。2024年2月に、ようやく松永は飯塚の長男と対面を果たした。
長男は謝罪の言葉を口にして、飯塚本人が松永に対して綴った手紙を差し出した。裁判での無罪主張を撤回して踏み間違いを認め、謝罪と反省の弁が記されていた。
〈もっと早くに車の運転を止めていれば、今回の事故を起こさないで済んだと思いますので、運転を続けていたことについては今も後悔し反省しております〉
長男によれば、飯塚はこの手紙を書いたときがまともに手を動かせる最後のチャンスだったという。手紙を読んだ松永は言った。
「彼を責めるようなことは言わない。許せるかどうかは、ちょっと言えないんですけど」
長男は、ドラレコのデータに基づいて事故時の車速の変化を解析。その説明を聞いた松永は「こんなに深い技術的な話をしたのは初めて」と話した。2人とも技術者で、考え方の波長もあっているようだった。
話は誹謗中傷にも及んだ。飯塚がバッシングされた背景に誤解やマスコミの誤報があった。
その1つは飯塚が「予約していたフレンチの時間に遅れそうだった」と供述したという報道だ。私が捜査幹部に確認すると「それは誤りだ」と言い、飯塚の供述調書にもそのような文言はなかった。また店は高級店ではなく、気軽なビストロで、予約時刻には急がなくても十分間に合った。
実際のところ、飯塚の経済力はどの程度だったのか。飯塚は退官後、クボタの副社長や顧問を歴任。その後は日本計量振興協会の会長などを務めたが、名誉職で無給だった。
貯金の多くは母の介護に費やし、収入はひと月約25万円の年金だけ。年金支給額を1円単位で日記にメモしてやりくりし、貯金を取り崩していた。飯塚の死後、遺産を確認した長男は「こんなに少なかったのか」と感じた。