ヨネスケ 俺はコロナの時、本当に死にたいと思っていたからね。遊んでいる時はいいんですけど、ふと静かな場所で我に返るとそんなことを考えてしまうんですよ。かみさんに叱られた後、二丁目の「でめ金ビーム」で飲み直して、3時過ぎまで飲んだんです。
かみさんは戸塚に住んでいたので、もう帰れない。女子ひとりだと嫌だけど2人だと大丈夫だろうということで、始発が出るまで、友人と一緒に当時住んでいた新宿のマンションに泊まってもらって。その時、連絡先を聞いたんだけど、正直、ひとめ惚れだったね。
「すごく格好いいと思っていた」陽子さんが高校生の頃からヨネスケさんに憧れていた理由
――陽子さんは、ヨネスケさんはタイプだったのですか。
陽子 高校生の頃、憧れていた芸能人は、杉良太郎さん、次が松平健さんで、3番目がヨネスケさんでした(笑)。私は、声フェチっていうんですかね。『隣の晩ごはん』で、師匠がかすれ声で「奥さん」って家のなかにはいっていく姿が、すごく格好いいと思っていたんです。
あと、当時、高校の先生が好きだったんです。小野平先生といって、野球部を何度も甲子園に導いた監督で、特に顔がいいとかじゃないんですけど、ハスキーな声と面白さが好きで。先生は既婚者だったんですけど、同級生に「私、いつか小野陽子になるから」って言いふらしていました。
そうしたら、師匠と結婚して本当に小野陽子になったので、みんなに「ちょっと違うけど、夢かなったね」って言われました(笑)。
ヨネスケ 俺は、本名、小野(五六)っていうんですよ。それで、かみさんが佐々木陽子からオノヨーコ(小野陽子)になった。だから、「今度から私のことをヨネスケじゃなくて、ジョン・レノンって呼んでください」って舞台で言うと、バーンと受けるんです(笑)。
陽子さんが「付き合うのはハードルが高いな」と思っていたワケ
陽子 あとで調べたら先生と師匠は同年代で、運命だと思いましたね。でも最初、付き合うのはハードルが高いなと思っていました。まだ病んでいる感じがありましたし、20歳上という年齢差もあり、一緒に暮らした時にしっかり支えていけるのかという不安もありました。
一番壁になっていたのは、母のことです。私は離婚後、自分が母を看取ると決めていたんです。誰かとお付き合いすると母との時間が奪われてしまうので、交際は出来ないと思っていました。
だから、師匠には「私は、閉店ガラガラなので来ないでください」と言ったんです。「どうして?」と聞かれたので、「母と一緒に暮らしているし、母優先なので」と言ったら、「なんていい子なの」って逆に好感を持たれてしまったみたいで(苦笑)。
