6世紀初頭、これまでの皇室との関係が薄い北陸の有力豪族が天皇として即位した。継体天皇である。彼はどのような背景を持ち、なぜ即位できたのか――。いわば皇統断絶の危機に現れた、この大王は何者なのか。

 今年出版された『継体天皇 六世紀に現れた世襲王権の「始祖王」』(中公新書)が話題となっている日本史学者の河内春人氏と、2001年に『謎の大王 継体天皇』(文春新書)を著した日本史学者の水谷千秋氏が対談した。

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 水谷 大阪・梅田の紀伊國屋書店の新書ランキングを見ていたら、河内さんの『継体天皇』(中公新書)は、1位の林真理子さん、3位の阿川佐和子さんに挟まれて2位。すごい売れ行きですね。

 河内 おかげさまで、5月下旬の発売から3カ月足らずで6万5000部を突破し、7刷が決まりました。前作の『倭の五王』(中公新書)くらい売れればいいなと思っていたら、とんでもないことになりました。

 水谷 25年前、私が『謎の大王 継体天皇』(文春新書)を出したとき、継体天皇陵と目される高槻の今城塚(いましろづか)古墳で大量の埴輪が出たとニュースになって、売れました。

今城塚古墳は宮内庁が天皇陵に指定していないので発掘調査が可能 Ⓒ共同通信社

 河内さんの本は、今の皇位継承問題と重なったことが大きいのでしょうね。継体天皇は皇統断絶の危機に即位した人ですから。507年、武烈天皇が後継ぎのないまま亡くなり、越前にいた「応神天皇五世孫」が天皇になりました。これが第26代継体天皇(『日本書紀』では生没450年〜531年)です。

 河内 執筆が遅れて、たまたまこのタイミングになりました(笑)。継体天皇は国会審議でも「遠い傍系から即位した先例」として名前が挙がりました。でも、一般にはほとんど知られていない。皇室の行方を考える入口として読まれているのなら、研究者として励みになります。

 水谷さんが継体天皇について最初に講演されたのは、昭和天皇の「大喪の礼」前日だったそうですね。

 水谷 1989年2月23日、滋賀県高島市で講演しました。こんな日に継体天皇は前の天皇の血をひかない豪族だった可能性があるなんて話をして大丈夫かと思いました。

 河内 今回、私が継体天皇を書くにあたって、もはやタブーは感じませんでした。その一方で、教科書から名前が消えているんですよね。

著書の『継体天皇 六世紀に現れた世襲王権の「始祖王」』がヒットしている河内春人氏 Ⓒ文藝春秋

 水谷 以前は山川出版社の教科書の欄外に、北陸から継体天皇が迎えられたとありました。後で触れますが、継体天皇の治世に起きた筑紫君(つくしのきみ)磐井の乱は本文に太字で残っているのに、いつの間にか継体天皇の名だけ消えてしまった。

 河内 教科書の人名数を減らす流れで、ひところは坂本龍馬まで消えると話題になりました。坂本龍馬と継体天皇なら、先に消えるのは継体でしょう(笑)。それに、あの時代は考古学で論じる時代から、『古事記』『日本書紀』(以下、記紀)などの文献史料で論じる時代への変わり目で、どちらにも収まりが悪い。