高市早苗首相は9月17日に内閣改造を行い、日本維新の会の中司宏前幹事長が規制改革相として入閣した。

 日本維新の会は、いかにして高市首相の最大の支持勢力となったのか——。長年にわたって永田町を取材してきたジャーナリスト・新町隆史氏が読み解いた。キーワードは「ヤンキー魂」だ(敬称略)。

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 昨年10月4日の自民党総裁選に高市は勝利するものの、公明党が連立離脱の気配をみせる。小泉進次郎(現防衛相)の勝利と連立を見込んでいた維新は、吉村の言を借りれば「僕らはいったん引いた」。高市との連立など想定していなかった。

蜜月の高市早苗首相と吉村洋文代表 ©時事通信社

 10月9日、遠藤敬(維新の国会対策委員長・首相補佐官)は高市に携帯電話のショートメッセージを送り、高市を気づかう。公明がいなくなれば、高市は首班指名さえ危うくなる。

 折り返して電話してきた高市は「維新はどうなの?」と探りを入れた。遠藤は「政策実現なら協力する」と応じ、吉村と連絡をとるよう勧める。この時、高市と吉村は、遠藤を通じて初めて携帯番号を交換したのだ。

 3日後、連休中日の10月12日。東京・赤坂の衆議院議員宿舎の会議室で、高市は維新の共同代表・藤田文武らと初めて顔を合わせ、政策協議に臨んだ。

東京エリート層への反感

 藤田たちが驚いたのは、高市が維新の政策資料を持ち込み、そのどれにもマーキング、付箋があり、びっしり書き込んであったことだ。

 どの党でも自党の政策資料を隅から隅まで熟知している議員は、国会にも地方にも少ない。他党の資料をここまで読み込んでくれているとは、と維新側は感激した。「高市さんの目力に圧倒された」と藤田が振り返る初回協議は3時間におよび、一気に連立協議は加速し、8日後の20日には合意にこぎつける。

 維新と高市はなぜ、かくもケミストリーが合ったのか。

 高市は霞が関官僚たちとの面会による説明を好まず、資料を求め、それを読むことを基本方針にしていることはよく知られている。うかがえるのは「官僚には言いくるめられない」との警戒感と、根強い不信である。従来型東京エリート層への反感と言い換えてもよい。3度にわたる自民党政調会長当時も、高市は党の政策を自ら書くことにこだわってきた。霞が関からみれば、維新の政策集は素人臭い。そんな維新に、高市が自らと同じ「反霞が関、反エリート」のにおいを感じたとしても不思議ではない。