「声優になりたいとは思っていなかった」
――最初は文学座の養成所に入所されます。
大塚 当時、『太陽にほえろ!』に文学座から松田優作さん、渡辺徹さんであったり、新人刑事の枠でたくさん出ていたんですよ。だから、ここしかないと思って。
文学座のオーディションには、昼間部、夜間部30人ずつ、合わせて60人の枠におよそ1700人が集まったそうですよ。そこになぜか通って。1年間はお金を払って、演劇修練みたいな感じでいろいろ教えてもらいました。
びっくりするぐらい楽しかったです。大学時代は空手部で、その後はトラック運転手という殺伐とした世界しか知らなかったので。こんな世界もあったのかと衝撃を受けて、それで「これはもう役者としてやっていこう」となりました。
ただ、1年が過ぎると才能のある人間は劇団の研究生として残るんですが、そこには引っ掛からなかったんです。役者になろうと決めたのに、1年でハシゴをスパーンと外された気がしました。
――その後はどうされたんですか。
大塚 井上ひさし先生の次女が文学座の同期だったんですが、井上先生のこまつ座が旗揚げになりまして。「お芝居をやるんだけど、もぎりであったり、お手伝いの人が足りないからバイトに来ないか」って言われて、それで行ったら面白くて。それで、こまつ座にもぐり込みました。
朝、稽古場に行って掃除して、先輩方の出前を取ったり、電話を受けたり、車の移動をしたり、稽古でプロンプをしたり。4年間くらいやりました。お金はないですから、アルバイトをして、芝居をして、時折こまつ座の旅公演で2つ、3つセリフをもらって。名古屋章さんのカバンを持って、旅を回ったりしてました。
――声優になるきっかけは、いつだったんですか。
大塚 しばらく芝居をやっていたら、ある時、父から「お前、声の仕事をやってみるか?」と言われたのがきっかけです。
初めはね、特に声の仕事をしたいとは思っていませんでした。たとえば、映画スターになれば、高倉健さんになれる可能性もあるじゃないですか。売れたら大豪邸に住めるかもしれない。どうせやるなら、そっちがいいかなと。
ただ、父に声優をやらないかと言われたことで、これも勉強だなと思って「やるやる」と声優の仕事を受けたら、これがまたすばらしい仕事で。アルバイトの建築現場だと、朝の8時から夕方5時まで、みっちり肉体労働をするわけです。ところが声優をやってみると、空調のきいたスタジオに行って、セリフを言うだけで、建築現場で1日働いた分と同じぐらいもらえる。こんないい仕事はないなと思って。
そう考えてやり始めたら、声の仕事ばっかり、どんどん転がり始めて。気づいたら、声優と呼ばれていました(笑)。

