廃墟と化した学校に残されていた「1枚の写真」
正式名称は「市木小学校築島分校」。本土側にある市木小学校の分校として、1934年11月25日に開校した。
それ以前は、子どもたちは船で海を渡り、山道を歩いて市木小学校まで通っていた。住民は困り、「築島に学校を」と運動を起こした結果、ようやく分校ができたのだという。とても小さい学校だが、図書室も給食室も体育館もあった。
しかし、島の人口減少に伴い、築島分校は2010年に休校、そして2016年に閉校となった。給食室の前には、休校前の思い出として撮影したのか、当時の先生と生徒が写った写真が貼られていた。
築島さんが、当時の思い出を話してくれた。
「小学生時代の遊びは、木に登ったり、かくれんぼしたり。島内に公園はなかったけれど、島中が自然公園のようなものだから、遊ぶ場所には困りませんでした」
山の神と海の神、かつては2つの神社で祭りを催していた
学校を離れてしばらく歩いていると、鳥居が見えてきた。
築島には、2つの神社がある。それぞれ、山の神と海の神を祀っている。住民がまだそれなりにいた頃は、その神様たちを祝う祭りがあった。
1つは、秋の山の神祭り。子どもたちが、山の神への願いごとを書いた作文を読む。山や家を守る神様として大切にされていたのだという。
もう1つが、冬の恵比須祭りだ。
かつては、この神社で大漁と船の安全を祈る恵比須祭りが行われていた。分校の小学生たちが、島に群生するビロウの葉で伊勢エビの形をした飾りを作り、絵馬にくくりつける。その絵馬に願い事を書いて、恵比須神社に奉納したのだという。
「お祭りと言っても、本土のお祭りのように、出店で賑わうわけじゃありません。儀式をして、集会場に集まって、島中の人たちで飲んだり食べたりする。それだけなんですが、非日常感があって楽しかったですね」
島を歩いている途中で、老夫婦に会った。
「あら、今日はお友達と一緒なの」
そう声をかけてくれたのは、いまも築島に住む2人だ。築島さんとは、遠い親戚にあたるという2人は、80歳を超えてなお、現役の漁師として島で暮らしている。




