倒産を覚悟した
事故後、岩本にとっての怒濤の日々が始まった。
「まるで自分が映画やドラマの世界に放り込まれたようでした」
断っても断っても、岩本にコメントを求めるメディアの人波は途切れることがなかった。
さらにYouTuberや動画配信者までもが大挙して押し寄せた。
「彼らは現場の映像を撮るために規制線を勝手に突破して、敷地の中に入ってくるので、何度もトラブルになりました」
また、警察による捜査や保健所による調査のため、温泉は閉鎖を余儀なくされた。
「当然、その間は無収入ですが、施設の維持費や十数人いる従業員への給料など固定費は払わないといけない。貯金残高がみるみる減っていき、倒産を覚悟しました」
仮に捜査や調査が終わったとしても、新たに十分なクマ対策を施さないうちは、温泉の再開は事実上不可能だった。だが、対策を施そうにも手元に資金は残っていない。
「そのための資金を金融機関から借りようとしても、どこも貸してくれませんでしたね。メインバンクは“決算書を出せ”の一点張りで、けんもほろろの対応でした」
そんな中で、唯一、話を聞いてくれたのが地元の信用金庫だった。
「僕の何を信じてくれたのか、わかりませんが、これは本当に有難かったです。だって金融機関からすればリスクしかないわけですから」
最終的に、この信金からの融資を受けて、敷地へのクマの侵入を防ぐための鉄柵や監視カメラ、AIカメラ、さらにクマへの注意喚起を促す巨大看板などの新たな安全対策を施した。その費用は総額数千万円に達したという。
こうして事故から約1カ月後の11月17日、内風呂のみではあるが日帰りの入浴から再開した。
私が岩本に話を聞いたのは、それからさらに半年が経った頃だったが、依然として露天風呂は閉鎖されたままだった。
――露天風呂の営業については再開する予定はないんですか?
「ない、ない! だって、逆に聞きますけど、伊藤さんなら再開できますか? 100%安全なんて、ありえないですから。少なくとも僕がオーナーをやっている間は、露天風呂を再開する気はありません」
岩本もまた事故によって心に深い傷を負った。
だが、オーナーという立場は、彼に“被害者”としてふるまうことを許さなかったのだ。
その葛藤が語気の強さに滲んでいた。
(文中一部敬称略)
