「いい兄貴分だったよ。あの事件さえなければ普通に暮らしていたんだろうな」
昭和38年に起きた「吉展ちゃん誘拐殺人事件」――犯人の小原保が生まれ育った福島県の集落を訪ねると、事件から半世紀以上が過ぎた今も彼を“共同体の一員”として静かに受け入れる住民たちの姿があった。
名刑事・平塚八兵衛の自白劇でも知られる「戦後最悪の誘拐事件」の犯人は、死後いかにして故郷に眠ることとなったのか? ノンフィクション作家の八木澤高明氏の文庫新刊『殺め家』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目)
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4歳少年の遺体が発見されたお寺に足を運ぶと…
私が取材で訪れる少し前、小原保を尋問により自白させた平塚八兵衛刑事のドラマが放送されたことにより、参拝希望者が多く訪れているという。
円通寺の境内には、戊辰戦争における上野の戦い当時の寛永寺の黒門が弾痕も生々しく移築されていた。
戊辰戦争は上野の戦いの後、長州・薩摩藩を中心とする新政府軍と小原の出身地福島県の会津藩を中心とした東北諸藩との戦いになり、東北諸藩は新政府の軍門に下ることになる。黒門が移築されたこの寺で、福島出身の小原保が東京生まれの児童を殺し埋めたことに、どこか歴史の因縁を感じてしまう。
小原保は福島県石川郡で生まれ育った。農家の出身で小学校4年生の時に足の傷口から細菌が入ったことにより、骨髄炎になり2度にわたる手術にもかかわらず、片足が不自由になってしまった。
その後、小原は足を引きずるようになり同級生から馬鹿にされるようになる。彼の人生に暗い陰がさしはじめた。時をほぼ同じくして学校の通信簿には盗み癖を指摘されるようになる。
