呆然と立ちすくむ看護婦たちを叱咤し、瓦礫をどかし臨時の救護所を設置した。そこに怪我人が続々と運ばれてくる。看護婦たちにテキパキと指示を出して迅速に応急処置をおこなう。和が看護婦として見せた最後の姿だった。それは弟子の看護婦たちの目にもしっかりと焼きつけられ、伝説として語り継がれてゆくことになる。

関東大震災では火災の被害も甚大で、東京市中では22万1718棟の建物が焼失している。大関看護婦会が所有していた4軒の木造建築も、地震の揺れに耐えて倒壊は免れたのだが、その後に起きた火災によってすべて焼失した。植村正久の富士見教会も焼け落ち、矢嶋楫子が学院長をしていた女子学院の校舎は甚大な被害をうけている。

大関看護婦会に金銭的余裕はなかった

大関看護婦会を再建するために、新たに家を借りて家財を揃えねばならないのだが、和には蓄えがほとんどなく、借金も多く抱えている。当時は15円程度で取引されていた電話加入権が唯一の財産で、無一文に近い状況だった。

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大関看護婦会の創設当初は、有力者からの寄付などで現在の貨幣価値にして億の数字になる金が集まったといわれている。富裕な上客を多くかかえて実入りもよかったが、同時に出費もまた多かった。寄宿舎にはいつも大勢の内弟子がいて、その衣食住すべてを和が賄(まかな)っていたという。また、困った者を見ると財布の有り金をすべて貸し与えて、返済を催促するようなこともしない。踏み倒されたことも多々あるが、まったく気にしていなかった。

和自身の金遣いも荒かった

本人の金遣いも荒く、近所にでかけるにも人力車を乗りまわす。夕食は尾頭付きの魚がないと気に入らない。お金に頓着しないというか、金銭感覚がおかしい。看護婦としての能力は凄かった反面、人としては欠落したところが多々あり。“普通に”暮らすのは難しいのかもしれない。

「金は天下のまわりもの」

それが口癖。富裕層のお得意様から高価な着物や装身具などを貰うことも多かったが、それらもすぐに質屋に入れて金を借りる。いくら借りたのか、本人もよく覚えていない。