中村屋の相馬愛蔵がバックアップ

そんな和を心配して支援の手を差しのべる者は多く、彼らの助力もあり大関看護婦会は本郷弓町に移転してなんとか再建することができた。なかでも最も手厚い支援の手を差しのべていたのが相馬愛蔵だった。彼は本郷のパン屋「中村屋」を買い取って商売を始め、日本初のクリームパンを販売して大ヒット。明治40年(1907)には新宿に喫茶室や食堂を併設した新店舗も完成し、実業家として名を馳せるようになっていた。和を尊敬してやまない愛蔵は、大関看護婦会が本郷弓町に転居してからも、お土産のクリームパンを大量に抱えて頻繁に訪問している。

昭和4年(1929)の暮れに脳溢血を起こして倒れてからは、ひとりで起きあがることが困難になっていた。同居する内弟子たちに世話されながらの寝たきり生活だったが、持ち前のポジティヴな言動や、天真爛漫なお嬢様気質は変わらない。愛蔵がいつも持ってくるクリームパンは大好物。内弟子たちと一緒に「美味いしいわね」と言いながら頰張り、嬉しそうな笑顔を浮かべていた。

昭和7年、73歳でこの世を去る

現役を引退してからはもう長い月日が流れている。華族や資産家といったかつての優良な顧客との縁は薄れて、看護婦会の経営は厳しくなっていた。以前にも増して金に困っているようなのだが、そのことには一切触れてこない。しかし、長いつきあいの相馬愛蔵はすべてを察している。和の枕元で話しながら財布の有り金を抜き取り、そっと布団の下に押し込んで帰るのが常だった。

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そして、昭和7年(1932)5月22日、和は静かに息を引き取る。享年73。

訃報は新聞やラジオでも伝えられた。全国から届けられた花輪が、大関看護婦会のある道沿いにずらり、何十メートルにも渡って延々と並ぶ様は壮観だったという。葬式の当日には付近に人垣ができるほどの弔問客であふれ、札束で風呂敷がいっぱいになるほどの香典が集まった。和を慕う人々がそれだけ多かったということだ。