「なんとかなるやろ」が口癖で、就活出遅れ&氷河期のダブルパンチにより大手企業の採用締切を逃した学生。全滅寸前で駆け込んだ就職課で紹介されたのは、当時採用を継続していた証券会社だった。自己分析も業界研究もゼロのまま臨んだ面接で起こった、まさかの展開とは――。
元証券マンの日野山大氏の新刊『証券マンひりひり日記――日興証券25年、公益通報の果て、居場所を失い会社を去りました』(三五館シンシャ)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目)
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「なんとかなるやろ」が口癖の学生
私は昔から、何事も切羽詰まるまで動かない人間だった。3人きょうだいの真ん中長男として育ったせいなのか、あるいは単に性格の問題なのか、姉妹たちが計画的に宿題を片付ける横で、私は夏休み最終日に半泣きになって机に向かった。しかも、自分一人で苦労するならまだしも、最後は母や姉妹まで巻き込んで「自由研究」を完成させる始末である。
にもかかわらず、本人にはいつも妙な楽観主義があった。「なんとかなるやろ」それが口癖だった。
大学受験も、必死に勉強した記憶はない。学校の成績だけは悪くなかったので、指定校推薦で関西の有力私大・K大学へと進学した。だが、その後も相変わらずで、入学手続きの書類提出を忘れて家族を慌てさせたり、卒業間際に卒業論文の締切を失念したまま旅行へ出かけたりした。
そんな調子だったから、就職活動にも当然ながら出遅れた。
大学3年の冬あたりになると、キャンパスの空気が急に変わった。周囲の学生たちが黒や紺のリクルートスーツを着始め、髪を短く切り、資料請求だの会社説明会だのと騒ぎ始めた。だが、私はその変化をどこか他人事のように眺めていた。
「まだそんな焦らなくてもええやろ」
当時はバブル崩壊後の就職氷河期だった。だが、楽観主義の私は、その現実をまるで理解していなかった。
