上司に「顔が死んでいる」「一旦休むか?」と言われて…

――しんどい状況の中でも、会社の方々との関係は良好だったそうですね。

田中 そうですね。周りの方々は「この人があんなに頑張っているなら、この人のために働こう」と思わせるエネルギーのある方ばかりでした。物腰が柔らかくて、尊敬する先輩がたくさんいました。

 私は忙しすぎていつも顔が死んでいたんですけど、先輩方は「どうしたんだよ」と明るく優しく声をかけてくれて。そういう人たちだからこそ、外資系の投資銀行でも生き残っていけるんだなと。

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――ご自身の顔が「死んでいる」と気付いたのはいつ頃ですか?

田中 4月に入社して、6月、7月にはすでに上司から指摘されていましたね。「大丈夫か、一旦休むか?」と聞かれることもありました。

 お風呂にも入っていないから、トイレに行く度に、鏡に映る自分の髪の毛がベタついて汚いのが気になったり。

――その時点で、会社を辞めようとは思わなかったのでしょうか。

田中 もともと起業志望だったので、資本金を少しでも稼ぎたかったんです。だからできるだけ1年は辞めずにいようと思っていたんですけど、結局つらくて9か月で辞めてしまいました。

 

高年収や肩書きを手放すことへの葛藤がなかったワケ

――最初から辞めることは決めていたのですね。

田中 そうですね。ただ、辞めるタイミングはかなり悩みました。起業しようと決めてはいたものの、日々の業務に追われて次にやりたいことも全然考えられていなくて、それが不安だったんです。

 職業柄、色々な会社の企業分析をするので「各業界がどういう事業環境なのか」という知見は得られたのですが、「じゃあ自分はどうしよう」というのを考える余裕がなくて。

 だからもう「辞めてしまってからの方が冷静に考えられるのではないか」と思ったんですね。スタートアップで働いた経験もあったので「何とかなるだろう」という自信もあり、思い切って辞めることができました。

――高年収や肩書きを手放すことへの葛藤はなかったですか。

田中 なかったんです。私の場合、東大に入学した時もそうだったのですが、目指した場所に入ることがゴールだったんです。東大に入った時点でゴール、投資銀行に入った時点でゴール、という感じだったので、もったいないという気持ちは全然なくて。

 むしろ、自分が辞めることで、同じチームの同期に業務が全部回ってしまうのが、すごく心苦しかったですね。