現代社会に生きていると、資本主義にのみこまれてしまいそうになる。人生の当事者として生きるには、自分の欲望を把握することが必要だ。ジェーン・スーが欲望を仕分けるために行ってきたこととは。
『週刊文春WOMAN 2026秋号』に掲載されているジェーン・スーさんの仕事連載「はたらく私」第5回より、一部を抜粋・編集し掲載する。
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私たちは「他人の欲望」を生きてしまっている?
仕事とは、食い扶持を稼ぐためだけの手段ではない。誰かの役に立ち、社会に自分の居場所を作る行為だ。 頑張るとは、無理難題で身も心も削られる我慢ではなく、自分を信じ元から持っている力を正しく十分に使いきる行動だ。
何者かにならなければ社会から取り残される不安は外界から植え付けられたもので、「何者」は他人が後から貼るラベルに過ぎず、コントロールできないものに自分という存在の価値を委ねることは危うい。
本連載では、こうやって言葉の再定義と確認を繰り返しながら、仕事と自分と社会を健やかに結ぶ方法、つまり「どうすれば人は社会と折り合いをつけながら、自分を見失わずに生きられるか」、「他者を隣人として扱いながら、自分も失わずにいられるか」を模索している。
社会に完全適応しろとも、周りを無視して自分らしさを貫けとも、私は言わない。それはあまりに非現実的だ。では、なにが現実的で実践的か? 今号は「それは誰の欲望なのか?」から始めよう。
先日、教育者の鳥羽和久さんと対談した際、鳥羽さんの口から「他人の欲望で生きる」という言葉が飛び出した。それだ! まるで雷に打たれたようだった。
話は少し遡る。
以前、「資本主義社会に生きながら、それに飲み込まれず生きる方法はあるか?」という話を友人とした。
私たちが住む世界では、資本の所有額がモノを言う。たとえば、腕時計。時計の本来の機能は「正確な現在時刻を計測し、表示すること」だ。同時に、ファッションアイテムやステータスシンボルとしても機能する。
どんなにお金を持っていても、ライオンの鬣よろしく札束を首に巻いて歩くわけにもいかないし、土地を背負って歩くわけにもいかない。ならばとそこで人間の飽くなき創造力と想像力がフル稼働し、装飾品がその役目を果たすようになった。
有名ブランド品だから、限定数しか製造されていないから、宝石がちりばめられているからと、芸術性と混在した資本主義的付加価値をあとから乗せやすいのが腕時計。この腕時計を手に入れるには、資金が必要だというメッセージは、逆説的に「高額な腕時計をしている人は金持ちだ」になる。
