《たぶん最初から「芝居をするんだ」って考えていたら持てなかった心構えを持てたと思うんです。台本を読むにしても、カメラの前に立つにも、技術を見せるのではなくて、とにかく心を見せるということ。そういう心構えは今までブレずにありますが、それは是枝監督に教えてもらったことです》(前掲、『映画の言葉を聞く』)

 しかし、俳優として駆け出しだった頃には、ほかの作品でどっしりとした「芝居」を求められ、戸惑うことも少なくなかったようだ。

けっして大きな声を出さなかった『ピンポン』

 松本大洋の人気マンガを映画化した『ピンポン』(2002年)出演時には、けっして大きな声を出さず、監督や録音のスタッフからもうちょっと声を張ってほしいと言われても譲らなかったので、共演した竹中直人が感心したというエピソードが残る。井浦としてみれば、「これ以上の声を出してしまったら、セリフになってしまう、芝居になってしまう」と考え、抑えてしまったらしい(前掲、『映画の言葉を聞く』)。

映画『ピンポン』(2002年)

「たくさんの人に迷惑をかけてしまう」俳優の仕事から離れた

『ピンポン』の現場自体は楽しく、同作は井浦が若手俳優として期待を集めるきっかけにもなった。しかし、このときにいたっても彼のなかではまだ役者として成長しようという心が育っておらず、それなのに芝居について語ることがだんだんストレスになっていった。

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 ついには《この場に居ちゃいけないんじゃないか、こんな気持ちのままやっていたら、たくさんの人に迷惑をかけてしまうと》思い、一時、心を閉ざして、俳優の仕事から遠ざかる(『AERA』前掲号)。

若松孝二監督への直談判「ゴミ拾いでもいい」

 だが、その後、映画『青い車』(2004年)にプロデューサーの越川道夫から懇願されて出演したのを機に、映画の現場に復帰した。しばらくすると是枝監督に続く大きな出会いが、今度は井浦からのアプローチにより訪れる。1960年代より数々の問題作を手がけていた若松孝二監督だ。

俳優復帰作となった映画『青い車』(2004年)

 井浦は10代のときからパンクミュージックが好きだったり、体制側に抵抗する人々の書くものを読み漁ったりと、反骨心の旺盛な一面があった。それだけに若松が連合赤軍の映画(2008年公開の『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』)を撮ると知るや、いても立ってもいられず、自ら若松プロダクションに電話すると、監督に映画に出してほしいと直談判する。すでにオーディションは終わったと言われても、ゴミ拾いでも後片付けでも何でもいいから現場で映画づくりを勉強したいと頼み込んだ。

 後日再び連絡すると、若松から「僕はまったく知らんが、助監督に聞けば君は結構有名な俳優らしいな。今度全員が集まる日があるから来なさい」と言われる(『週刊現代』2017年12月2日号)。当日行ってみると、連合赤軍のメンバーの一人である坂口弘の役が用意されていた。