“クマ仙人”米田の経歴

 米田一彦は1948年、青森県十和田市で生まれた。

 秋田大学を卒業後、秋田県庁に入り、生活環境部自然保護課などで鳥獣保護行政を担当し、クマとの関わりを持つようになる。1986年に県庁を退職し、フリーのクマ研究家となり、1989年に広島県で「日本ツキノワグマ研究所」を設立した。

 縁もゆかりもなかった広島を拠点としたのには理由がある。当時、広島県を含む中国地方西部では、クマの棲息が確認されていたが、行政や研究者によってその実態が把握されているとはいい難い状態にあった。このままでは絶滅する恐れがあったため、米田は広島に拠点を移し、試行錯誤を重ねながら、これらを保全・管理する手法を確立してきたのだ。

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 1991年には日本では初となる奥山放獣(捕獲されたクマを殺処分せず、人里から離れた奥山へ放す手法)を実施。これまでに西中国地方(広島、島根、山口県)において合計67頭に対して奥山放獣を行い、この地方の個体群が絶滅する危機を救った。放獣に際してはクマが嫌がる成分をスプレーするなど「学習措置」を施すことで、集落への被害を抑えることにも成功している。

ツキノワグマ ©時事通信社

 50年以上にわたり現場でのフィールドワークを続け、クマとの遭遇回数は3000回を超え、襲われたことも9回。それでも「クマは森の守護神。クマとの事故を避けるためには人間がクマのことを学ばなければならない」と説く米田には、どこか「クマ仙人」の趣きがある。これまで別の取材を通じて、メールや電話などでやり取りしたことはあったが、こうして実物の「クマ仙人」に会うのは、今回が初めてだった。

 十和利山事件について書く以上、米田に会わないわけにはいかなかった。

十和利山事件の経緯

 まず十和利山事件の経過を見ておきたい。

 以下の事実関係については、前出の『人狩り熊』で米田が被害者や遺族から聞き取った証言と、NGO法人「日本クマネットワーク」による「鹿角市におけるツキノワグマによる人身事故調査報告書」を参考にした。

【1件目の事故(被害者は死亡)】

 前代未聞の連続食害事件の発端は、2016年5月21日、秋田県鹿角市十和田大湯字熊取平(くまとりたい)で同市に住む男性、Aさん(79)の遺体が発見されたことにある。

 Aさんは前日、タケノコ採りに出かけたが、夕方になっても戻らず、家族が警察に通報。翌朝から警察が周辺を捜索したところAさんの車を、続けて車から離れた地点で遺体を発見した。

(文中一部敬称略)

羆を撃つ

伊藤 秀倫

文藝春秋

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次の記事に続く 「非常に頭の大きなクマだった」70代男性の全身にツメ痕が→翌日にも別の男性が遺体で発見…止まらない“クマ連続食害事件”