悪性リンパ腫を克服し、完全寛解を果たした元フジテレビアナウンサーの笠井信輔氏。しかし元気を取り戻したことで「昔の自分」へ戻りつつある笠井氏に対し、妻から厳しい問いかけが響く――。

 大病を経て“モーレツ”局アナ時代の生き方を改め、人生の舵を切り直した葛藤を綴る、笠井信輔氏の著書『生きる力』(角川新書)の一部を抜粋して紹介する。

寛解後はセミナーや公園に登壇することも増えた 写真はインスタグラムより

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自分の力、家族の力、そして生きる力

 私ががんになったことで、家族のあり方、夫婦の形が大きく変わりました。これは当然のことなのかもしれませんが、3人の息子たち、そして妻がとても優しく私に接してくれるようになったのです。

 とてもありがたかったのは、妻が率先して明るくふるまい落ち込みがちな私を励ましてくれたこと。「ステージ4」で「全身にがんが散らばっている」という状況の中で、深刻になって一緒になって泣いてくれるような家族でなくて本当に良かったと思っています。私は涙もろいので、同情してくれるうれしさから自分も泣いてしまってどんどんと気分が落ち込んでしまう可能性が高いからです。

 おそらく結婚30年でその辺りのことは妻がよくわかっていたのでしょう。実は心配性で非常に泣き虫な女性なのですが、こと私の病気に関しては「大丈夫よ」と常に前を向いていて、私の前で涙を見せたことはありませんでした。とても感謝しています。

 子どもたちは私ががんを伝えてから入院するまでは、「腰痛に苦しむお父さん」ぐらいにしか感じていなかったと思います。この本にも書いたように、入院直前にまったく家事や炊事を手伝わない子どもたちに対して真夜中に妻が激怒する事件がありました。

 普段から子どもたちにやらせていなかったのは私。ブーブー文句を言われるのが嫌で、それだったら自分でやった方がずっと早いので、洗濯も風呂の掃除も食洗機に食器をかけるのも、妻がいない時は全部私がやってしまっていたのです。それがいけなかったのです。

 こういう緊急事態の時に日ごろからのしつけ、育て方が出るものだなと痛感しました。

 ところが入院中に高校生の三男が卵焼きを焼いてきてくれました。それも「おばあちゃんに教わってきた」と言うではありませんか。私のためにわざわざ私の母のところに行って「おふくろの味の卵焼き」を作ってきてくれるなんて、こんな幸せなことはないです。感動しました。いい子に育ったなと思いました。

 さっきとまったく逆のことを言っているようですが、いざとなったらやる子だったんだなという意味です。