内田 我が家も子ども3人で、やはり男が2人、女が1人なんですが。

阿刀田 男・女・男ですか。

内田 はい。

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阿刀田 うちとまったく同じだ。

内田 だからすごくシンパシーがあって、私も子どもたちが最後は頼りになるんだと信じたいです。みなさん、文筆業とは離れたところのお仕事ですか。

子どもたちそれぞれの仕事

阿刀田 長男は電通で、子会社の代表を最後に定年退職しました。次男は日経新聞のスポーツ部の記者で、この夏はワールドカップの取材で現地に行きっぱなしでした。娘はJTBに勤めて、子どもを持ってから2年くらい退職していたのかな。非正規雇用でJTBに復職したんですが、接客業をやってみたいと言い出した。ご存じですか、HIGASHIYAというお菓子屋。

内田 もちろんです。海外に行くときはよくHIGASHIYAの和菓子をお土産に持っていきます。とても喜ばれるんですよ。

阿刀田 社員を募集していたので応募して、そこで働いているんですよ。

内田 みなさん、ご自分で進路を決めて、社会に役立つお仕事をされて。

阿刀田 電通はどこへ行くのか(笑)。

内田 慶子さんは本当によく育てられましたね。

子育てが終わってから、朗読の仕事を見つけた

阿刀田 家内は50歳になると、もう子育ては終わったんだから面倒見ないわよと言いまして、朗読の仕事を見つけました。高田馬場にある点字図書館の朗読員になり、法律の本だの何だの朗読していた。そのうち、やはり文学作品を読みたいと思ったんですね。演出家の鴨下信一さんに家内が相談したら、よかろうって朗読の舞台演出を引き受けてくださった。それで毎年1回、私の講演と家内の朗読を一緒にやるようになったんです。19回、つまり19年続け、ロサンゼルス、ニューヨークにも行きました。

妻が朗読、夫が講演を行った。19年間続いたが、2021年頃、妻はレビー小体型認知症を発症した。 写真:本人提供

内田 ご夫婦の二人三脚で、いいですね。私も朗読をやらせていただいては難しさに直面するんですが、奥様は主婦時代から練習されていたんですか。

阿刀田 何もしていなかったんですよ。外国人に日本語を教えるということで、日本語に強い関心を持っていたことは役に立ったのではないでしょうか。50歳まで専業主婦だった。そこから「アナウンサーをしていたんですか?」なんて言われるほど、プロに近いところまで技術を身につけたんです。

内田 生来の挑戦魂を発揮されたんですね。イキイキとされていたのではありませんか。