国語辞典編纂者の飯間浩明さんが“日本語のフシギ”を解き明かしていくコラム「日本語探偵」。今回は「反省」という言葉について考えます。
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7月下旬、特別国会の閉幕を受けて、高市首相が記者会見を行いました。〈この国会の反省点、教訓〉についての記者の質問に、首相は〈謙虚に真摯に国家国民のために仕事をしていくだけ〉であり、〈反省点というのは特にございません〉と述べました。
このやりとりは主要メディアが一斉に報じ、「反省点なし」の発言に野党や識者などから批判や皮肉の声が聞かれました。私自身も「何事にも反省点はありうるのでは」と疑問に思いました。
思うに、「反省点」という質問の文言を、首相は「後悔する点」と捉えたのかもしれません。それならば、「わが国会対応に悔いなし」と自信を持って発言したのだ、とも解釈できます。
ただ、「反省」ということばは、歴史的には必ずしも「後悔」の類義語ではありません。後悔は「悪かった」と悔やむことですが、反省は、悪い点に限らず、自分の言動などを検証することです。「反」も「省」も「かえりみる」の意味で、自分を見つめ直すこと。どんどんやっていいわけです。
「反省点」も同様で、「この点はどうだったろうか」と検証すべき点を指します。たとえば、仏教学者の加藤咄堂(とつどう)は、自分の資力で贅沢(ぜいたく)をしてもいい、ただし〈二個の反省点〉があると述べました。その贅沢を後悔しないか、他人に害を及ぼさないか、という2点です(『社会教育通俗講話』1918年)。これは現在でも違和感のない使い方です。
「反省」も「反省点」も、過去や現在を広く検証する場合に使えます。ところが、今ではネガティブな用法が多くなり、本来の広い意味があまり意識されなくなっているらしいのは残念です。
※約1000字の全文は、月刊文藝春秋のウェブメディア『文藝春秋PLUS』に掲載されています(飯間浩明「【は】「反省」は悪くない タブー視しなくてよし」)。

