飯塚氏の発言に対して恐怖と罪悪感を感じた理由
――飯塚氏が退院後に自宅マンションに戻ると、守田さんはその前で張り込みをする。そして歩行訓練をしに地下駐車場に現れた飯塚氏に、路上から声をかける格好で直撃取材します。この時、飯塚氏は「メーカーは高齢者に安全な車を開発して欲しい」と述べる。これに対して守田さんは、これはスクープ映像だけれども、同時に飯塚氏を社会的に殺してしまうかもしれないという恐怖と罪悪感を覚えたとあります。
守田 飯塚氏が話したことは、一般論なのか、自分の事故のことなのか――このことを慎重に検証しないといけないとまず思いました。それですぐに放送するのではなく、一旦保留という形に位置づけ、取材の映像を何度も見返して、話の流れや言葉のつながり、口調などを検証した。
そのうえで放送に踏み切りました。結果は本にも書きましたが、Yahoo!ニュースに転載されるとコメント欄が荒れ、「まとめサイト」には「まるで他人事ですか」「なにこいつ被害者面してんの」などのコメントが殺到しました。
記者として不正な手段を取ることなく取材をして、報道した。けれども、結果はそうなってしまった。
――ここに、記者であるがゆえの葛藤が生じたかと思います。
守田 この件に限らず、取材によって飯塚氏の家族を苦しめることになるかもしれない。けれども池袋暴走事故を明らかにしていくためには、取材をしなければならない。加害者である飯塚氏本人に話を聞かずに、被害者遺族だけの取材をしても、この事故を知ったことにはならないし、取材したことにもならないんです。
魚住昭『野中広務 差別と権力』というノンフィクションがあります。この本ができる過程で、魚住さんは野中広務(自民党幹事長などを歴任した政治家)の出自に関しても取材し、月刊誌に書いた。そのことを野中さんに「家族が辛い思いをすると分かって書いたのか」と問い詰められた魚住さんは、取材して書くことについて「これは私の業(ごう)なんです」と言わざるを得なかった。
この気持ちが、分かるというか……、もう取材するしかなかった。うまく言葉にできないけれども、そういう思いでした。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。