闘病中の人間を揶揄するような

――ごく少数、病気や余命のことをあてこするような、不謹慎なメッセージも届きますよね。そうしたメッセージにも小枝さんが対応しているのをみて、気苦労がありそうだなと感じます。

小枝 届きます。私は限られた時間のなかで、自分の頭で考えたことをつぶやくようにしていますが、そうしたものを嘲るようなメッセージが届くことは、非常に不愉快に思います。また、闘病中の人間を揶揄するようなコミュニケーションしか取れない人を「ダサいな」と感じます。

 確かに、私ひとりに対してのメッセージであれば無視をすればよいのですが、もしその人が同じような闘病中の人に対しても心をえぐる内容を送りつけるのだとしたら、それは考え直してほしいと思います。

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 また、病気はある日誰しもがなりうるものであり、100%完全に拒絶する術はありません。人に対して攻撃的なメッセージを送る人間も、そうした状況に陥ってしまう可能性も考えられます。発信者の、そのあたりの想像力や配慮のなさに苛ついてしまうこともあるんですよね。「当事者のことを完全に理解しなくてもいいけど、寄り添うことは大切だし、たとえネット上でも気持ちを無下にしていいわけではない」と当たり前のことも考えられない人もいるのだと感じますね。

 ただ、冷静に考えてみると、そう感じる私も未熟者だなと思います。

がんになった医学生さん(小枝さん)。入院してからは具合が悪くなることも少なくない。脱毛があったときは、病室であっても帽子を被っていた

“常に死が隣りにあるなかでの笑顔”

――反対に、小枝さんのように若くして闘病され、ご自身の考えを明確に持っておられることに対しての賛辞も目立ちますよね。

小枝 たしかに、「立派な人」と有難いことに見てくれる方もいますね。もちろんそれ自体に悪い気はしないものの、実際の私は立派な人間でも何でもありません。誰かに勇気を与えられるような人間でもないと思います。SNSでは「前向き」と称されることがあるのですが、そう見せようとして作っているわけではないものの、実際には前向きでもないんです。大学に行って笑って話す自分も本心から笑っているにせよ、それは常に死が隣りにあるなかでの笑顔なんです。

 かといって、日常生活でずっと泣いているわけではありません。むしろ日常生活では泣くことはそう多くないけれど、でも一度泣きだすと止まらなくなってしまうんですよね。そんなときは、ひとりで泣くためにシャワーを浴びながら泣いたこともありますね。声が漏れないようにするためですね。