保護者と教員の双方が抱く被害者意識
夏になると、どこの学校でも熱中症になる生徒が出てくる。そこで、基準値より気温が高いときは戸外での運動をやめるとか、水分補給を心がけるなどの対策を取るところが多い。それでも、たまに熱中症気味の生徒が出ることがある。
その生徒の保護者が冷静であれば、水分補給に気をつけるようにわが子に注意したり、家でも塩分の補給を心がけたりといったことをして、いちいち学校にクレームをつけるようなことはない。クレームをつけるとしたら、部活の先生や先輩が部活中の水分補給を許さないとか、炎天下で長時間運動させるなど、特別な事情がある場合に限られる。
ところが、そうした特別な事情もないのに、わが子が熱中症気味になったと学校にクレームをつける保護者がいる。すると学校側は、とくに落ち度があったと思えないのに、戸外での部活を制限したりする。ひとり、あるいはほんの数人が熱中症気味になったというだけで、何の問題もなくふつうに部活をしていた数百人の生徒たちの行動が制約を受けるのである。
このような学校側の対応は、まさに過剰対応と言える。保護者からのクレームを恐れるあまり、過剰な対応をしてしまうのである。
ゲームやインターネットなど人工的な空間で遊ぶことが多い今どきの子どもたちは、自然から離れた生活を送っているため、自然体験を与えるのは非常に大切なことと言える。自然体験教育の一環として、田植えを経験させたり、芋掘りを経験させたりということが、しばしば行われる。だが、そこでも保護者の見当違いの被害者意識の暴走が見られる。
田植え体験というのは、毎日食べているお米を農家の人たちがどのように作っているのか、その仕事のきつさも含めて知ることができる貴重な教育の場と言える。
ところが、「ウチの子は泥水に入るのを嫌がっているから、このような活動はやめてほしい」といったクレームや「服が汚れるからやめてほしい」というクレーム、あるいは「あんな足腰を酷使する重労働をさせる必要はないだろう、可哀相だ」といったクレームがつくことがある。芋掘りというのは、田植えよりもっと多くの子どもたちが昔から体験してきたものだろう。これも、田植え体験と同様、食生活のしくみを知る貴重な体験であると同時に、自分が掘ってきた芋を家族で食べるときに、「これ、僕が掘ったんだよ」と自慢げに説明し、子どもたちは何とも言えない充実感を味わうことができる。