5歳下の妹へのスカウトがきっかけで芸能界へ

 芸能界入りは8歳のとき。5歳下の妹がスカウトされ、その面接についていったところ、「ちょっとやってみる?」と声をかけられた。「うん!」と答えて芸能活動が始まったが、明確な意志があったわけではなかった。

幼少期はテレビっ子だったという(松岡茉優のインスタグラム〔@mayu_matsuoka_koushiki〕より)

 最初の仕事は量販店のセールチラシ、オーディションで初めて合格したのは再現ドラマだった。しかし、そこから4年間、オーディションにひたすら落ち続けてしまう。本人によると、小学生時代にできた仕事は1本だけ。

「受けども受けども落ちる。落ちた数は500は超えているはず。もっとかな」(『ほんまつ』扶桑社 2023年)

「なんで私じゃないんだろう?」

 いい加減な姿勢でオーディションに臨んでいたわけではない。むしろ逆で、しっかり準備して臨んでいた。それだけに落選は悔しかった。

ADVERTISEMENT

「練習してきた全てを出しきる。でも、やりながら、なんとなくわかるのだ。ああ、今日も大人が私を見ていない」(前出『ほんまつ』)

 オーディションの合格者を見て「なんで私じゃないんだろう?」と思う役もあった。いまだに根に持っている役が2つほどあるという。

 あるオーディションでは「うまいのは分かったから、ちゃんと心動かしてくれや」と何度も言われ、帰り道、悔しさのあまり市ヶ谷駅の階段を下りられなくなってしまった。

 こうしてオーディションに落ち続けたことが、人格形成に大きく影響したと松岡は振り返っている。

人生最大級の喜びだった『おはスタ』出演

 大きな転機は13歳で訪れる。2008年、『おはスタ』(テレビ東京系)の日替りアシスタント「おはガール」に選ばれた。何を受けても落ちていた少女にとって、幼い頃から毎日のように見ていた番組のレギュラーになることは格別の喜びだった。

「いまだに人生で一番うれしかったことは『おはスタ』に受かったことかもしれないです」(『TOKYO SPEAKEASY』2025年6月24日)

『おはスタ』で共演の山寺宏一と(松岡茉優のインスタグラム〔@mayu_matsuoka_koushiki〕より)

 オーディションに何百と落ちてきた中で、『おはスタ』は初めて「松岡茉優」として認められた仕事でもあった。司会の山寺宏一は松岡を高く評価しており、「この子は本当に面白い。もう俺が休んでも、茉優がいれば大丈夫」と思っていたという(『TOKYO SPEAKEASY』同前)。番組卒業後も両者の交流は続き、松岡は山寺を「芸能界のお父さん」と慕っている。

「もし『おはスタ』と出合っていなかったら、このお仕事を続けていけなかったかもしれません。そういう意味で、中学2年生のときが大きなターニングポイントだったと思います」(WEBザ・テレビジョン 2022年3月5日)