――お辛い事故の後、そうした話や言葉にさらされるなかで、伊織殿さん自身はどのような状態でしたか。

伊織殿 精神的には相当なダメージでした。でも、外ではなぜか笑っていたんです。ショックが大きすぎて、自分でもどうしていいかわからなかった。「なんであいつだけ平気な顔して笑っているんだ」と言われましたけど、元気だったわけではありません。

 やっくんが亡くなった後、追悼ライブに向けて各地を回りました。僕らのステージは、演奏の後ろに映像を流して、お笑いの要素も入れていたんです。その映像を編集するのが僕の役割でした。

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事故後、活動を続けていた頃の伊織殿さん(写真=本人提供)

 やっくんが映っている素材を何度も見返しながら編集して、家では何度も泣いていました。タオルを頭からかぶって、何度も涙をおさえていたことを今でも覚えています。外で笑っていたからといって、悲しくなかったわけではないんです。

やっくんがいなくても…音楽活動を続けた理由

――やっくんが亡くなった後も、ライブの予定があったんですね。事故で脇腹などにけがを負ったなか、どのように活動を続けていたのでしょうか。

伊織殿 やっくんが亡くなってから1年以内にもライブはしていました。ただ、最初の1、2年は記憶が曖昧なくらい、きつかったです。やっくんがいないなかでライブをする大変さはあったけど、それどころではなかった。

 事故の直後には、新選組の舞台の稽古も控えていました。検査では骨折は見つからなかったのですが、2カ月くらい松葉杖を使うほど痛かったんです。殺陣もある舞台だったので、最初は台詞を覚えるところから始めて、本番までになんとか動けるようになりました。

――バンドでの活動を終えた後、ご自身の活動はどう変わりましたか。

©佐藤亘/文藝春秋

伊織殿 やっくんが亡くなって3年後にバンドが解散して、ソロで音楽活動を始めました。そこで初めて、やっくんやメンバーにどれだけ頼っていたかがわかったんです。

 自分で曲も作れない、作詞もできない、トークもうまくない。曲は外注するしかないし、「自分をどうプロデュースすればいいんやろう」と戸惑いました。

 お客さんも少しずつ減っていきましたが、「ここでやめたら負けてしまう」という気持ちで、やっくんが夢みていた武道館ライブに向けて、とにかくがむしゃらに活動を続けていました。

次の記事に続く 「おへそに入った4cmの棒を自分で引き抜いて…」桜塚やっくんのバンドメンバーだった伊織殿(40)が明かす、「内臓が飛び出る」希少疾患で苦しんだ闘病経験

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