朝ドラ史上、最強(最狂)の父・清治
しかし、この秋、その懸念が吹っ飛ばされた。『ブラッサム』の主人公・珠(石橋静河。幼少期は村上蘭)の父役が、朝ドラ史上、最強(最狂)だったのだ。その不安感たるや、これぞ俺たちの渡部篤郎である。
ヒロイン・珠のモデルは、著書『生きて行く私』が100万部超えのベストセラーになった作家・宇野千代。珠の父・清治も、宇野千代の父にかなり寄せて造形されている。実家の酒蔵からの仕送りだけで暮らし、一切働かず、自分は馬で遊び回りながら妻や子どもたちには厳しくあたる。土砂降りの中、娘を裸足で買い物に行かせたり、覚えにくい名前の料理を暗記させて夜中に買いに行かせたり、丼にひよこを仕込むといういたずらをしたり。宇野千代の書いたものを下地にしているため、清治の行為は実に独創的だ。
これまでの朝ドラの「ダメ父」は、働かない、酒びたりという、ほぼステレオタイプだった。清治は違う。宇野千代が「バルザックやドストエフスキーの小説の中にしか出てこないような、一種の奇人乃至狂人だった」と書いた父がモデルなのだから。朝ドラで奇人、狂人の父というのは、おそらく初めてではないだろうか。その一方で、第3回、夜桜を背景にした縁側で月明かりを浴びながら鳥籠のカナリアを見つめる清治の横顔は、珠に文学の目覚めを促す。その姿を珠が作文に書いて褒められるのだ。珠は、人間は見たままの存在ではなく、内面に何か違うものを隠していることに幼くして気づく。
だが、その詩的な顔は、またすぐ変貌する。妻・リョウ(国仲涼子)がカナリアを逃がしたときには、半狂乱で手のつけられない状態になる。予測できない感情の乱高下はさらにエスカレートし、第9回ではもうひとりの自分の幻影に怯え刃物を振り回す。もはや朝ドラではない。夜のサスペンスだ。
いくら最近、配信で自由な時間に見られるとはいえ、朝、見ている人たちだってまだまだいるなかで、ここまでやりきったのは偉業である。
ただ、これは台本に書いてあったことだと渡部は言っている。彼は、求められたことをやったまでだと。
試写会後に行われた会見に登壇した渡部は、「(私が演じる葉野清治は)とんでもない父親なんですけど。私のような心の優しい人間が果たしてできるのかと。頑張って、無理して演じております(笑)。」とユーモアを交えて挨拶。また記者から役作りや、自身が演じた清治と石橋演じる珠との関係性について聞かれると、「皆さんが見たイメージで、(清治は)最後まで悪い父親でいいと思うんです。父親の身勝手さとかを演じなければ中途半端になってしまうと思ったんです。どこがいい父親だったのかは彼女(=珠)が思う事じゃないですか。(なので)僕は(清治と珠の関係性は)あまり考えずに思いっきり台本通りに演じました。」と答えていた。
(スターダストプロモーション公式サイト「渡部篤郎 連続テレビ小説『ブラッサム』第1週完成試写会見」より)
筆者もこの会見に参加してコメントを聞いていたが、ひじょうにクレバーだなと思ったのは、視聴者がつい「実はいい人だった」と思ってしまいそうなところを、自らはそう促さない物言いであることだ。
宇野千代は作家であり、話を盛っていることだってあり得る。渡部の言葉は、彼女が辛かった思い出を美しく物語化することで乗り越えた、という読みの余地を残しているのだ。例えば宇野千代は、ひよこのエピソードを、あくまで父のために作られた伝説ではないかと『生きて行く私』に書いている。また、雪の日に父が出刃包丁(ドラマではりんごを切る刃物)を振り回したことについても、「私は父に代わって、あの瞬間の父を語ってやりたいのである」と書いている。
清治という人物はなぜ奇人になったのか。様々な想像を喚起する姿を作り出す、文学の余白を大事にするような演技。恐ろしいところも美しいところも徹底的に忘れられない絵のように鮮烈に演じている。
