4度の離婚、2度の破産、3度の大病。それでも作家・宇野千代は、自分を不幸な人間だと思わなかったという。夫や恋人と別れたあとは化粧をし、いちばんよい着物で外へ出る。経営している会社が倒産すれば、夜も昼もなく働いて立て直す。
2026年度後期朝ドラ「ブラッサム」の主人公のモデルとなる宇野千代が、95歳で語った『私の幸福論 宇野千代人生座談』から、その鮮やかな生き方を紹介する。
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(前略)そうです。私は、すでにあなたもご存じのように、4度の離婚をし、2度も破産に追い込まれ、3度の大きな病気をいたしました。これは一見、やり切れないと思えるような不幸な境涯(きょうがい)です。しかし、その何(いず)れのときも、私は、自分を不幸な女だとか、悲運な人間だと思ったことはありません。これも、皆、この父が与えてくれた幸福を知る才能のおかげなのです。
いつでも幸福な気持ちで生きている人間には不幸のかげは寄りつきません。人間は同時に二つのことを思うことはできないのです。同時に不幸であったり、幸福であったりすることはないのです。
私たちは、幸福だけを願って生きて行きたいものです。
別離の悲しみにひたる隙を、自分に与えない
尾崎(編集部注:士郎 小説家。代表作に『人生劇場』。宇野千代の夫だった)と別れたとき、東郷(注:青児 洋画家。宇野千代と同棲し、『色ざんげ』の主人公のモデルとなった)と別れたとき、25年も暮らした北原(注:武夫 小説家。1939年に宇野千代と結婚し、雑誌『スタイル』の仕事もともにした。1964年に離婚)との別離のとき、私は、どうしたでしょうか。私は別離の悲しみにひたる隙(すき)を、寸時(ちょっと)も自分に与えることなく、素早く身をかわしたのです。その素早さは、目にも止まらぬ早さでした。身をかわして、前へ一歩を踏み出したのです。きれいにお化粧して、いちばんよい着物を着て表へ出てみたのです。すると、悲しみは消えてそこにはいろどり鮮やかな世界が目の前に広がっていました。私は、過去に戻ることなく、来るべき明日へ向けて、希望の一歩を踏み出したのです。
お若いあなたの参考になりますか。こんな話。
「億という莫大な借金」を、夜も昼もなく働いて返す
スタイル社の倒産。あのときは、突然のことで、ひどい打撃でした。しかし、このとき私は、一切の抵抗をすることなく、これしか生きて行く道がないという最低の場所へ、するりと平気で這入り込むことによって窮状を脱出したのでした。やり切れない状態というものは、当人のやり切れないと思う分量が多いほど、やり切れない形になるのですね。平気でいれば、ある程度平気になれるものです。
私は当時、62歳でしたか。北原は10歳ちがいの52歳。その頃二人の仲に少しばかり亀裂(きれつ)が生じていたのですが、この倒産は、むしろ、私たちの関係を結びつける役割をしたのですね。私たちに負わされたのは、億という莫大な借金でした。30数年前です。今、考えても、途方もない金です。その金を返すために、私と北原は、夜も昼もなく働きました。傷つき合ったけもののように身を寄せ合いました。北原は小説を書き、エッセイを書き、そのどん底からもり上がったエネルギーがベストセラーを生みました。

