親の影響は、一律に同じ量が配られるものではない。
親と子どもの組み合わせ、その時期の環境、子どもの発達段階によって変わるし、家族について考えるとき、「誰が最も傷ついたか」を競う必要はない。同じ家庭であっても、それぞれが異なる経験、異なる傷つきを持っているものであるし、その意味の深さはたとえきょうだいであっても窺い知ることはできない。
きょうだいの対立の根源に「親の眼差しの違い」
ただ、深刻なきょうだい間の対立の根源は「親の眼差しの違い」からもたらされていることが非常に多い、ということは押さえておくべきだろう。
一方は「しっかりした子」、もう一方は「手のかかる子」と見なされたとしよう。一方は期待され、もう一方は心配される。一方の失敗は「この子らしくない」と受け取られ、もう一方の失敗は「やはりこの子はだめだ」と解釈される。このように、同じ家庭のなかでも、子どもは別々の物語の登場人物として扱われることがある。
親から異なる役割を与えられたきょうだいは、やがて互いをその役割を通して見るようになる。「あの子ばかりかわいがられた」「自分ばかり我慢させられた」「あの子が問題を起こすから、自分がしっかりしなければならなかった」と感じる。すると、本来は親とのあいだで生じた不公平感や怒りが、きょうだいへ向けられる。
親から比較されてきたきょうだいが、成人後も対立を続けることもある。親の期待に応えた側は、もう一方を「家族に迷惑をかけた人」と見る。反対に、期待を背負わされた側は、自由に振る舞えたきょうだいを「自分だけ逃げた人」と感じる。それぞれに見えていた家庭の風景が異なるため、同じ出来事について話しても理解が一致しない。
このような場合、きょうだい間の対立を解くには、どちらが「正しかったか」という争点では不十分である。親がそれぞれの子どもに与えた「役割」と「眼差し」の違いを理解した上で、それがきょうだい同士の関係性にどのような影響を与えたのかを検討する必要がある。
