山田康雄のルパン三世。緒方恵美の碇シンジ。日本のアニメーションの歴史には、その声を聴いただけで、背景や設定を知らない一見の視聴者にも一瞬でそのキャラクターの人格が伝わってしまう、語り継がれるような声優の名演が存在する。公開中の映画『最終楽章 響け!ユーフォニアム』後編で黒沢ともよが演じる女子高生・黄前久美子も、そうした名演の歴史に刻まれるキャラクターの1人になるだろう。

初見で完結編を見たのに…なぜか「わかった」ワケ

 実を言えば筆者は、夏前に今回の『最終楽章 響け!ユーフォニアム』の前編を劇場で見て以来衝撃を受け、何度も繰り返し映画館で鑑賞し紹介したいと思いつつ、この作品を未見の観客に伝える記事が書けずにいた。

 それまで長い間『響け!ユーフォニアム』という作品をきちんと見たことがなかった。吹奏楽部を舞台にした京都アニメーションの優れた作品であること、山田尚子監督によるスピンオフ『リズと青い鳥』の高い評価は知っていたのだが、テレビアニメを第1話からきちんと見たことはなかったのだ。10年以上、3シーズン39話続いた物語を完結編だけ見てわかるはずがない、と思いつつ、どんな作品なのか空気だけでも感じようと思いながらふらりと劇場に入った。

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『最終楽章 響け!ユーフォニアム』前編Blu-ray(Amazonより)

 だが驚いたことに、わかるのである。登場人物は20人をこえ、いちいち名前のテロップや紹介が出るわけでもない。ここまでシリーズを見てきた観客を前提にした完結編なのだから当然だ。だがそれにもかかわらず、一人一人の吹奏楽部員がどんな性格で、主人公とどのような関係にあるのかが、なんの説明もなくとも初見の観客である自分にすんなりと入ってくる。

 その理由は声だ。声優たちが一人一人のキャラクターに充てる声がキャラクターを鮮明に色分けし、その人物の魂がどんな形をしているのか、言葉の説明ではなく直観的に感じられるように表現しているからである。

 だがその声優たちの技量、そしてそれが作品にもたらす広がりを、『ユーフォニアム』を見たことがない観客に伝えるのはとても難しい。「全国大会をめざす吹奏楽部の生徒たちの葛藤を描いた作品で、声の演技が素晴らしいんだ」と書いたところで、この映画の音と声が作り出す豊かさ、世界の広がりは何一つ伝わらない気がするのだ。『となりのトトロ』を見たことがない観客に「田舎に引っ越した少女が森で不思議な生き物と出会うアニメ」と説明しても「よくある話だね」と言われてしまうように、これまでの表現を超えた映画は説明する言葉が存在しない。

「普通の少女」がアニメ史でも屈指の“複雑さ”を持つワケ

 中でも主人公の黄前久美子を演じる黒沢ともよの演技は傑出している。スクリーンで彼女が声を発するたびに、絵に描かれたキャラクターがみるみる豊かなふくらみを持ち、キャラではなく人間に見えてくるのだ。とはいっても黄前久美子は、特別に声や見た目に特徴のあるキャラクターではない。ごく普通の家庭に育った、ユーフォニアムを演奏するごく普通の吹奏楽部部長。突飛な行動や壮絶な過去を持つわけでもなく、他のアニメなら主人公の背景にいる「普通のクラスメート」であっても不思議ではない少女。だが日本のアニメーション作品の歴史上でも、黄前久美子は屈指の複雑なキャラクターなのだ。

 その普通の女子高生の中にある「複雑さ」を描いたのが2013年に書かれた『響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部へようこそ』である。

武田綾乃『響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部へようこそ』(宝島社文庫、Amazonより)

 筆者も映画を見るまで誤解していたのだが、『響け!ユーフォニアム』の原作はマンガでもライトノベルでもない。のちに吉川英治文学新人賞を受賞し、実写映画化された『愛されなくても別に』などの作品を世に出すことになる、女性と女性の関係を描く作家、武田綾乃の若き日の小説作品である。

「久美子ってさ、結構性格悪いやん?」 

「えっ」   

 ショックだった。久美子ちゃんはいい子だね。関わったことのある人たちは、皆、久美子のことをそう評価した。優しいね。優しいね。幼少期から刷り込まれてきた言葉に、自分を近づけようと思ったのはいつからだったろうか。自分は優しい。その理想を追いかけ始めたのは。   

 黙り込んだ久美子に、麗奈はうっとりと微笑みかける。 

「そのいい子ちゃんの皮、ぺりぺりってめくりたいなあと思って」

「…………もしかして、私いま悪口言われてる?」 

「悪口ちゃうって。そういうとこが好きって言ってるの。愛の告白やん」

武田綾乃『響け!ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部へようこそ』(宝島社文庫)より

 武田綾乃が描いたこのシーンは、刊行から2年後にアニメ化された『響け!ユーフォニアム』第1期の中で、登場人物たちの言葉を標準語に変更し、再構成されて黒沢ともよと安済知佳によって演じられることになる。