内示より先に来た電話「あんた、明日呼び出しがあるよ」

 なかには降格人事を事前に伝えられた行員もいた。山口銀行元広報部長の冨田俶彦によると、山口銀行にはかつて「藤山会」があった。山口銀行藤山支店(宇部市)の行員らが、同支店長を経て後に専務になる村上明夫との懇親を深めるためにつくった私的な集いである。

 冨田も属していたその会で、1994年のある日、後輩が涙ながらに訴えてきたことがあった。

「どうしたんか?」

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 冨田が尋ねると、「正下さんから電話があって、『あんた、明日呼び出しがあるよ』と言われた」という。

 実際に内示を受け取ると、それはいわゆる降格人事だった。

「後輩は異動の悔しさもあったと思うけど、それ以上に、正下が知らせてきたことに怒りを隠さなかった。『なんで正下が、人事のことで俺に電話してくるんか……』とね。私も信じられんで、『そんなことがあるんか』と言うたくらいです。銀行の内部人事を、なんで部外者の正下が先に知っとるんかと」

画像はイメージ ©moonmoon/イメージマート

 行員たちは憤りを感じた。それは、個人的な感情のみならず、山口銀行に長きにわたって受け継がれてきた誇りを傷つけられたことに起因する。

「『独立自尊』という福沢諭吉の言葉が好きな銀行でした。経営にあたって金融当局の指導にはお世話にならない、自分たちでやるんだと。そのためにはスキのない経営をしなければならない。それが3代目頭取の伊村光(1914―1996)さんから続いてきた山銀の経営哲学だったんです」

 ところが、行員たちにしてみれば出入りの保険外交員にすぎない正下が、山口銀行に入り込み、人事の情報が漏れるようになった。「独立自尊」という銀行の誇りを傷つけるような行為に、行員たちが怒ったのは当然である。

 だが同時に、彼らは恐れも抱いた。濱田誠が言葉を継ぐ。

「正下のばあさんは人事さえもコントロールしているのではないかって」

 人事は、個人の思惑で自在に動くほど単純なものではない。部署で起案され、人事部が差配をし、担当役員の決裁を経て決まる。制度の上では、正下に営業先を紹介した実績が昇進に直結する仕組みにはなっていない。

 それでも疑心暗鬼が広がったのは無理もない。正下と親密と噂された田中は、労働組合の対策要員として引き抜かれ、経営主導で従業員組合を立ち上げて期待に応えた人物だった。行内では、人事に強い影響力を持つ存在と見られていた。

「人事の鬼」

 元専務の西原克彦はかつての上司をこう評する。

「田中さんは山銀の人事体制の構築者であり、『人事の鬼』だった」

「人事の鬼」という呼称は、なかなか含蓄がある言葉である。山口銀行の元行員らに取材しているうちに、私はそのことに気づくようになった。

 というのも、田中がつくった企業内組合は出世と紐づいているところがあった。濱田誠が打ち明ける。

「組合の委員長を経験すると、役員になれるという暗黙のルールがありました。従業員に文句を言わせなかった成果として、委員長に与えられる論功行賞です。だから私なんか、組合を一所懸命やっている先輩を見ていると、すごく腹が立ちましたね。会社の言いなりで、本当の労使交渉なんかしていないわけだから。俺たち従業員の幸せはどうしてくれるんじゃと」