正下に貢献すると出世するシステムになっていたのか?
田中の権力の源泉は、この「御用組合」をつくり上げたことだった。組合の幹部には出世の道が開かれていた。そして、その人選にも田中の意向が強く働いていたとされる。指名された行員は田中に恩義を感じざるを得ない。組合幹部はのちに会社の中枢にちらばっていき、いずれ田中に忠誠を誓う役員となる。その帰結として、田中の行内における地位は盤石なものとなっていった。
彼は76歳で頭取を退いてからも山口銀行で院政を敷いた。相談役として、本店に専用の個室や運転手付きの社用車などをあてがわれた。さらに91歳から亡くなる前年の94歳までは「特別社友」に就いている。組合への影響力を武器に、生涯にわたって組織の権力者としてあり続けたのだ。西原が図らずも口にした「人事の鬼」とは、そういう意味である。
とにもかくにも行員たちにとっては、「鬼」の威を借る正下への貢献度が高いほど、出世につながった――。多くの元行員はこう口をそろえている。
人事部長を務めたこともある岩本一夫は取材に、「それは人事評価の対象ではなかった」と、正下への貢献度と出世との直接的な因果関係はないと否定した。
では、田中が個人の思惑で人事を指示してきたのかと言えば、それもなかったという。
「田中さんは最高権力者ですから、もちろん人事権も任命権も持っています。ただ、『こいつをあそこに異動させろ』といった無茶な要求をすることは、一度もありませんでした」
ただし、正下に顧客を多く紹介した行員が出世したことについては、「外形的に見ると、その通り」と認めた。
正下のために開かれた例の祝賀会で事務局としての業務を請け負ったのも、じつは山口銀行の行員だった。岩本は、悔しさをにじませるように、こう吐露した。
「とくに営業現場の人たちは、正下とつながっていないといけないという幻想を抱いてしまったのは事実。それは否定できませんね」
そのためか、正下と田中の関係については、事実が捻じ曲げられたような噂までもが飛び交った。岩本が続ける。
「田中さんが海軍兵学校時代に同期生だった人の妹が正下さんだという話でした。その同期生が戦地に行くときに、田中さんは『おまえ、生き残ったら自分の妹を頼むぞ』という言葉を託されたと。私は、そんな話を社内で伝言ゲームのように聞いているだけなので、事実かどうかはわかりませんでした。ただ、田中さんと正下さんの関係については、そういう認識を持っていましたね。それは私だけでなく、ほかの人たちも」
はつもみぢの原田朗と正下の妹公子の結婚がもとになっていると思われるこの話は、まさに事実が「伝言ゲーム」で伝わるなかで、大いに脚色されていったのだろう。
事実が脚色されて伝わる。それは世の常である。正下と田中の「深い仲」という噂にしても、おそらくは同じ経緯で発生してきたのだと推察する。
「深い仲」の噂に関しては、田中の耳にも入っていた。そのことで彼が怒ったことがあると、濱田誠は証言する。
「山口銀行で常務だった人物がかつて、田中に向かって小指を立てて、『正下はお前のこれか』とからかったことがありました。そうしたら田中がものすごい剣幕を見せたそうです」