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八人の農家の親父が「初恋の味」を作る

 小さな醸造所でも生産が認められるワイン特区は一二年三月に認可された。同年九月、最初の飲み仲間を中心に、八人の農家が集まった。最年少は関さん、最年長は斉藤さんだ。五十万円ずつ出してワイナリーの会社を設立し「ふくしま農家の夢ワイン」と名付けた。社長には言い出しっぺの斉藤さんが就いた。

 ところで誰が醸造するのか、いざとなると困った。八人は先進地の山梨県で研修を受けていたが、素人に変わりはない。しかも本業で忙しい。そこで市内の酒蔵で働いていた農家の息子、山崎清史さん(三十四歳)を、関さんが引き抜いた。

 関さんは就農当初、この酒蔵で冬の農閑期に、蔵人として働いた経験がある。蔵に寝泊まりしながら酒造りをしたのだ。その時に相部屋になったのが山崎さんだった。

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 ワイナリーの醸造場は、放置されていた養蚕施設を、八人が自力で改造した。それが何とか形になった一三年三月、醸造免許が下りた。

 すぐに仕込んだのはシードルだ。これには差し迫った事情があった。

 八人の農家のうちの一人、熊谷耕一さん(六十一歳)はリンゴとサクランボを栽培する果樹農家だ。放射能の基準は一度も超えていない。しかし激しい風評被害にさらされた。「サクランボ狩りの客は来ません。リンゴも贈答用に送る人が激減しました。原発事故の初年は七割が売れ残り、サクランボは木にならせたまま腐らせました。リンゴは畑に大きな穴を掘って埋めました」。ワイナリーでは、このような農家のリンゴをどんどん引き取って仕込んだ。

製造されたワインとシードルの数々

 シードルが初めてできた時、八人は試飲して驚いた。「辛い!」。思い描いていた「甘ったるい味」(斉藤さん)とはかけ離れていた。

 本場の欧州には辛口から甘口まで様々なシードルがある。だが、八人は飲んだことがなかった。

 辛口になったのは、発酵が進んで糖分がアルコールに変わってしまったせいだった。次の仕込みでは、発酵を途中で止めて甘口を作り、最初の辛口と混ぜた。そうしてイメージに近づけていった。最終的に甘くてリンゴの香りが漂う酒が完成し、飛ぶように売れた。

「シードルを熟知していたら辛口で売り出していたかもしれません。素人だからできた味でした」と斉藤さんは振り返る。

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