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連載地方は消滅しない

地方は消滅しない――福島県二本松市の場合

原発事故を乗り越えてアルコールツーリズムを

2016/09/27

source : 文藝春秋 2016年10月号

genre : ニュース, 社会, 経済

 その夏、斉藤さんは摘果したリンゴが畑一面に落ちているのを目にした。「もったいない」と食べてみて「いける」とひらめいた。「イノシシも食べないのにと反対されたのを押し切って醸造すると、甘酸っぱくて初恋のような味のシードルができたのです」と斉藤さんは頬を赤らめる。たちまちヒット商品になった。

 発酵がきちんと止められず、出荷後に瓶の栓が飛んだり、ジュースを作ったつもりが酵母が紛れ込んで酒まがいになったりという失敗はあったが、技術はみるみる上がった。

 一三年はブドウが少しとれたので、ワインも仕込んだ。シードルで経験を積んだせいか、上々のできだった。「濃い赤色をしていて、皆の思いの強さが乗り移ったようなワインでした」と関さんは語る。量が少なかったので関係者だけで飲んだ。

 ワインは次の年から本格的に醸造し、一四年産はワインボトルで約五百本、一五年産は約二千本を作った。まろやかで香りが高く、毎年売り切れてしまうほど評判はいい。このワインに惚れ込み、東京のフランス料理店を東和地区に移そうと計画している料理人もいる。北海道から訪ねて来たソムリエもいた。

 ちなみにワインもシードルも原発由来の放射能は検出されていない。ただ、果実なら風評被害にさらされるのに、アルコールにしたら引く手あまたになるのは不思議な現象だ。

 ブドウは現在、ヤマ・ソービニオンを中心に十二種類を約六千本植えている。栽培農家は三十軒近くにまで増えた。今後はさらに本数を増やし、高級ワインを仕込みたい考えだ。「いつか自分達の手でレストランも建てようって話をしているんです」。斉藤さんは微笑む。

「農家の夢」はそれだけではない。

農家民宿を営む大野達弘さん・美和子さん夫妻

 東和にはワインやシードルの他にも酒がある。発泡酒の醸造免許を取った関さんは、リンゴなどを副原料にした“ビール”を作っており、近年は他地区から特産品の醸造を頼まれるほど腕を上げた。八人の農家のうちの一人の大野達弘さん(六十二歳)が栽培した麦は、福島大学の発案で焼酎にされている。

「これらを飲みに、泊まりに来てほしいのです」と大野さんは話す。

 震災前、東和には毎年、東京の中学校が五校訪れ、農家に泊まりながら農業体験をしていた。「それを一歩進めて、皆で農家民宿を始めよう」と計画していた矢先に原発事故が起きた。中学校は来なくなった。

 それでも二十三軒が農家民宿の許可を取った。「子供が来ないなら、大人に飲みに来てもらおう。飲んだら帰れないから泊まってもらおう」という作戦だ。「アルコールツーリズムです」と大野さんは意気込む。今年から仕掛けに本腰を入れる。

 福島の農家は原発事故で傷ついた。再起を諦めた人も多い。だが、逆境の中だからこそ「夢」を忘れなかった農家もいた。酒は人を鼓舞して夢を見させる。偉大な飲み物だ。

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