なぜある人には効果的な写経という勉強法が私には効果がなかったか

 写経という作業を分析してみましょう。

 写経しているとき、われわれは文章の意味を深く考えません。「だからダメだ」というネガティヴな話ではなくて、まさに、この内容理解よりも表面的なトレースを重視するところに、写経のポイントがあるわけです。

 ここではなにが起こっているか。写経は、インプットでもアウトプットでもない、曖昧な性格をもっています。でも、ほんとうにインプットもアウトプットもゼロなら、おそらく、そこから語学的な成長は望めません。その曖昧な性質から、なにかを引き出す必要がある。

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 わたしは、この曖昧な性質を活かすことができなかったのだと思います。アウトプットもインプットも、かぎりなくゼロになってしまった。じっさい、そういう感覚がありました。

 でも、効果がある人もいる。では、写経が効いているひとの脳内では、なにが起こっているか。なぜ効くのか。そして、わたしにはなぜ効果がなかったか。いま知りたいのはこの違いです。

 これをいいかえれば、なぜ彼らにとって写経という作業は、一定のインプットでありアウトプットとして機能したのか、という問いになります。なぜなのでしょう?

 母語で考えてみましょう。わたしたちは、強い文体をもつ書き手、たとえばわかりやすい例として村上春樹を挙げると、その文章を読んでいて、強烈に「村上春樹だなあ」という感じを受けます。

 それと同時に、わたしたちは、村上の文章に完全に身を任せているわけではありません。村上の村上っぽさを感得するとき、わたしたちはそこに、非・村上的な日本語を対置しています。そうでないと、そもそも村上の文体に個性があるということを感じ取ることはできないはずです。差異がわかるから、個性が見えるのです。

村上春樹『職業としての小説家』(新潮文庫)では文体についても語られる。

 つまり、文体を感得するには、こちらが一定の文体をもっている必要がある。まさにわたしは文体を持っていなかったからこそ、そこに他人の文体をぶつけても意味がなかった、というわけです。わたしの写経には摩擦がない。いわば、手作業で書くというノイズを上乗せして、ただゆっくり読んでいただけです。それは読書の下位互換だった。

 では、どうすればよかったのでしょうか。ひとつの答えは、「いちど文体を確立してから戻ってくる」というものです。じっさい、かつてのわたしは、特定の著者を選んで、その文章をそのまま暗記することで移植するという方法を選びました。それが先述した「パラグラフ写経」です。でも、今回はこれは置いておきましょう。

 ここでは文体を手に入れたいと願っている時点において、写経を、文体の取得に繋がるような勉強法にアレンジするという方向で考えたいと思います。

 前回の「対訳」が、インプットがアウトプットを兼ねた勉強であったことをヒントにして考えてみましょう。あれはまさに、インプットのなかにアウトプットを混入させることに成功した例でした。

 文体をもっていない書き手が、写経という勉強法からインプットとアウトプットの両方を得るにはどうすればいいか。それは、自分でも書けばよいのです。

 手順はこうです。まず他人の文章を読み、だいたい内容を理解します。それこそ1パラグラフとかでいいでしょう。その時点で、あなたはズバ抜けた暗記力をもっていないかぎり、その文章を暗唱はできていません。その状態で、本を閉じ、その内容をじぶんで英語で書いてみます。あなたが書いたその英文は、ショボいです。あるいは部分的に、著者と同一の表現を使えた箇所などもあるかもしれません。

 そして、そのうえで、あらためて写経します。ここに、同じ内容をべつの文体で書いているという状況が人工的に作りだされます。

 このような準備を整えて写経すれば、あなたの書いた英語と、著者の書いた英語とのあいだに、一種の交流がうまれるはずです。それらは比較可能なものとなり、あなたは著者の英語をトレースしながら、「なるほど、これを言うのにこういう表現か」というように、インプットと同時にアウトプットするような状態を味わうことができます。

 つまりあなたは、著者の文体を「聞く」ことができるようになる。内容理解に邪魔されず、表現のフローのようなものに集中して、それを味わうことができる。その感覚を味わうために、あなた自身の文体がリッチである必要はありません。差異さえ見えればいいのです。

 ……と、デモンストレーションとして勉強法をでっちあげてみましたが、自分で書いていて、これは間違いなく効くだろうという確信があります。内容理解とその定着という面からも、かなり効果がデカそうです。ぜひ、みなさんもやってみてください。

 まとめましょう。前回と今回、セットで「効く/効かない」の検証と分析、そして方法論の再検証と再構築をやってみました。これはすでに実践中の勉強法を再解釈して強化したり、あるいはイマイチだった勉強法をカスタマイズしたり、まさに「勉強を手に入れる」ための試行錯誤にほかなりません。勉強の効果が出ないのは、バカだからではありません。わかっていないからなのです。

 今回はそういうお話でした。

最初から記事を読む 今年こそ「勉強を手に入れる」。挫折を繰り返すあなたに贈る、学習の質を変えるための思考のレッスン