後藤田正晴の評伝を書いた経験を持つ、昭和史研究家の保阪正康氏。氏が評伝の刊行後、中国語訳の出版に伴って訪れた中国での経験と、そこから学んだ歴史観について語った。

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中国への旅で学んだこと

 政界引退後、日中友好会館会長を務め、田中角栄以来の日中外交のパイプ役を担っていた後藤田から、私が書いた評伝『後藤田正晴 異色官僚政治家の軌跡』(文藝春秋、1993年)を中国に推薦したと聞いて、自著が中国語訳されることに異存があろうはずがなかった。同時に、私にはこみ上げる思いがあった。

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日中友好会館会長を務めていた後藤田正晴 Ⓒ時事通信社

 後藤田は当初、私の本が抒情的すぎると強く抗議し、その後、侑子夫人の意見を聞き入れて私と和解し、本音を語り合う関係になっていったのだが、本については語ろうとしなかった。ところが、後藤田を知るための一冊をと中国側から求められて、私の本を推挙したということは、その内容に納得したということであろう。「カミソリ後藤田」が、私が描き出した人間的な部分を自ら肯定するようになったことが、私には嬉しく思われたのだ。

 翻訳は、日中友好の一助とすることを目的に、1年以上かけて丹念に進められ、2000(平成12)年に国営の新華社から中国語版が出版された。刊行に際して、私は中国から招待された。共産主義に対して批判を持つ私は後藤田に相談したところ、「ぜひ行くべきだ。共産主義に反対とか賛成とかで中国を見ていたら、これからの国際社会は分からない。未来はそんな時代ではなくなる。公正に見て、洞察力を養うべきだ」と言う。

 その言葉に背中を押された私は、親しくしていた文藝春秋の浅見雅男、共同通信の高橋紘、講談社の阿部英雄、中央公論新社の横手拓治とともに保阪訪中使節団をつくり、10日ほどかけて旧満州を中心に回ってくることにした。北京空港に着くと、貴賓室で日中友好協会副会長の王効賢から歓迎された。田中角栄と毛沢東、また角栄と周恩来の会談を通訳した女性で、滑らかな日本語を話す。彼女は三つのことを柔らかく説いた。

(1)これから中国東北部(旧満州)を訪れるにあたり、私たちの言動が中日平和友好条約の精神に基づいたものであるべきこと。

(2)日本の軍国主義の傷跡はあらゆる場所で見受けられるはずなので、ある程度の謝罪の意を抱くことは必要であろうこと。

(3)しかし、いまは新しい世代が新しい国をつくろうとしているので、良い面も、悪い面も、すべて見てほしいこと。

 王効賢の話は後藤田の言葉とも反響し、私たちには納得できるものだった。この視察旅行で私たちは、かつて日本の軍国主義の犠牲になった中国の庶民の実態を具体的に知った。柳条湖事件の跡地に完成したばかりの「九・一八紀念館」新館では、中国側から見た抗日の歴史に触れた。一方で、中国共産党の官僚主義的な硬直を感じる場面もあった。