玉田に惹かれてからの千代は着物に凝り、丹念に化粧をするようになった。しかし、2人の関係が噂になると学校は放っておかず、千代は退職に追い込まれてしまう。

千代は川下村に借りていた家から実家に戻り、失意のまま京城(現ソウル)に旅立った。しかし、そこで玉田からの絶縁状を受けとると、いてもたってもいられなくなり、玉田と直接話をしたくて岩国に帰る。だが、じつは玉田も、千代との恋愛問題のせいで転校させられていた。だから、千代が原因でこれ以上追い詰められるのを極端に恐れていた。

玉田は千代に冷たく対応し、口論になった挙げ句、彼女を突き飛ばしたのだった。

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布団の上で始まる深い関係

玉田との一夜について、千代は自伝『生きて行く私』(毎日新聞出版)に次のように書いている。佐伯(玉田のこと)の家を訪ねたときのことで、雨が止まなかったという。

〈「お泊りんされ」と低い声で、しかも命令するように言ったと思うと、佐伯はいきなり押入れをあけて蒲団を出し、そこに敷いたのであった。男はランプの灯を消した。そして、一言もものを言わずに、するりと私の横に寝た。それは、私にとって、始めての経験ではなかった。あの、別の男と寝たときと同じように、佐伯の体を押しのけた。しかし、それは、男にもっと強く抱擁することを催促する結果にしかならなかった〉

千代は良くも悪くも、その後もこうして布団の上で、知り合って間もない男性との関係を、深めていくことが多かった。そのなかでも極めてインパクトが強いのが、画家の東郷青児(1897~1978)との逸話である。

東郷青児といえば、やわらかい曲線と穏やかな色調による甘美な女性像で知られ、戦後の洋画界で絶大な人気を誇った。東郷青児のコレクションがあるSOMPO美術館が、かつて東郷青児美術館と呼ばれたことでも、その名が広く知られている。

国民的画家が起こしたガス自殺

4回結婚し、それ以外にも多くの男性と浮名を流した宇野千代は、奔放な男性遍歴で知られるが、東郷の奔放さの前には千代も到底敵わなかった。