そうであるなら、このとき千代はまだ、作家の尾崎士郎と離婚していなかった(尾崎とは翌昭和5年に離婚が成立する)。2番目の夫の藤村忠と婚姻中に同棲をはじめ、追って3番目の夫になった尾崎。千代はその尾崎と別居状態のまま、心中事件を起こしたばかりの東郷と出会い、二人の男女の血糊が〈がりがりになっていた〉というにはまだ生々しい布団で、初めて関係を持ったことになる。

宇野千代という女性の底知れぬ強さ

千代はここから昭和8年(1933)か9年まで東郷青児と付き合った。なにしろ、その晩から一緒に暮らすことになったのである。ところで、千代が東郷を訪ねた目的は、そもそもは取材だった。『罌粟はなぜ紅い』という連載小説で、男女がガスによる情死を図る場面を書くのに、体験者の話を聴きたいと考えたのだった。

東郷に電話をすると、さすがに電話で話せる内容ではないということで、千代は酒場に呼ばれ、その後、誘われて世田谷の東郷の家に行き、前述の場面になったという。初めて会ったその日なのである。

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しかも、千代は血糊がついた布団を〈気味が悪い〉とは〈思わなかった〉。しかも、心中事件を起こした東郷が、〈何か共感を呼ぶものでもあった〉ことさえ仄めかしている。宇野千代はどんな逆境に見舞われても、人生を前向きに楽しむ姿勢を貫き、それが多くの人の共感を呼んだ。心中事件を起こしながら、それを乗り越えて生きている人に対して、気味が悪いと思うどころか、むしろ共感したということだろうか。

さすがに血糊のついた布団は、朝ドラには出せないと思うが、それをごく自然に受け入れたところに、宇野千代という女性の底知れぬ強さが感じられる。

香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に『お城の値打ち』(新潮新書)、 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。
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