大阪ドームになるまで続いた強烈な体験
――その原体験が、今の活動の根本にあるのでしょうか。
越智 確実にありますね。スポーツがもたらしてくれたっていうと綺麗ですけど、近鉄バファローズが見せてくれたものは、やっぱり自分の基本みたいなところになってるかなって。ちょっと言葉は悪いですけど、「脳に傷をつけられた」みたいな感じです。
――脳に傷を。
越智 海外のサッカーとかでよくあるフーリガンとか、気持ちはちょっと分かる部分があったり。もちろん暴力はだめですよ、絶対暴力とかはだめなんですけど。
――その子ども時代の強烈な体験は、いつ頃まで続いたのでしょう。
越智 小学生、中学生、高校生ですね。大学生のときに、球場が藤井寺から大阪ドームに変わったので、そうなるとそこまで同じ熱はないんですよね。
本拠地が変わった途端に、自分の持っていた熱みたいなものはふっと冷めて、むしろ阪神のほうに注目しだしたり。で、バイトするときも、甲子園でビールの売り子をやっていました。
――ビールの売り子のアルバイトもされていたんですね。
越智 昔、『フロム・エー』っていうバイト求人雑誌があったじゃないですか。あれで見て、「これだ」と思って応募したら、2日目に売上2位になったんです。
――2日で2位に。
越智 2位になると、2000円のクーポンみたいなものがもらえて、翌日の給料にプラスされるんですよ。
――なぜそんなに売れたのだと思いますか。
越智 一言で言うとファン心理です。まず、阪神が攻撃しているときに売ろうとしない。一緒になって応援するんです。周りのみんなには必死に売るんですけど、応援が始まったら一緒に応援する。そうすると、例えば1回裏の攻撃が終わった瞬間にバカバカ売れるんです。応援の仕方も知ってるもんだから、行列ができたりして。
大学時代はアルバイトで甲子園の高校野球を撮影
――大学では写真学科に進まれ、そこでもスポーツに関わるバイトをされていたそうですね。
越智 カメラが元々好きで大学では写真を学びたいと思って、大阪芸術大学に進みました。当時は風景を撮るのが好きだったんですが、縁あって甲子園の高校野球の撮影のバイトをやったんです。
――当時、印象的だった甲子園の選手はいますか。
越智 圧倒的に98年の松坂大輔ですね。昔はフィルムだったので、たくさん撮ったら怒られる時代で。だからタイミングを見て撮るんですけど、シャッターを押すタイミングは基本的にはどの投手も一緒なんですよ。
でも松坂だけはどうしてもタイミングが合わなくて。ほぼ機械的に撮れていたものが、松坂だけは撮れなかった。
――やはり違いましたか。
越智 違いました。スピードが全然違います。
――その頃にはもう、スポーツ写真家になろうと決めていたのですか。
越智 おそらくなんですけど、やっぱりそこもあまりに日常だったのかなと思うんです。そもそもカメラマンになろうとも思っていなくて、どちらかというと風景のほうに興味があったぐらいだったので。
高校のときに、あえてスポーツを撮りに行くみたいなことをした記憶もないんですよ。自分の中に染み付いていたものが、自然とそういうバイトにも応募させてしまったのかなと。
