オリンピックを撮るために休学してシドニーへ行ったものの…
――そこから報道写真のゼミに進まれたわけですね。
越智 大学ではいくつか授業を取らなきゃいけなくて、風景以外に何があるだろうと思ったら、「報道写真って風景もあるよな」って。これだったら両方撮れるやん、みたいな。単純な考えです。
――そのゼミの先生が、オリンピックを撮られていた。
越智 アトランタとか、モントリオールとか、そのへんを撮っていたみたいです。元々は新聞社の方で。
――その先生の影響でシドニーオリンピックを撮るために大学を休学してオーストラリアへ。そこで初めて障害のある方を撮ることになったと。それまで、パラリンピックや障害のある方との接点はありましたか。
越智 まじまじと見たことはなかったと思います。特別学級みたいなのはあったけど、しっかりと話をした記憶も全然なかったので、ほぼ初めてです。強いてあげるとなんですけど、中学のときに体育の授業で足を骨折したことがあって、そのときに車椅子に自分自身が乗っていた、そのぐらいです。
「パラリンピック撮ってもらえる?」という依頼
――そんな中で、初めてパラスポーツを撮ることになった。依頼されたとき、戸惑いはありませんでしたか。
越智 なかったですね。依頼を受けたことがとにかく嬉しくて。
本当はオリンピックの仕事をもらいたくてシドニーに行ったんですけど、どこの新聞社からも声がかからなくて。オリンピックも終わったし、もう帰ろうと思っていたタイミングで「パラリンピック撮ってもらえる?」って依頼されたんです。
パラリンピックは見たこともなかったんですけど、シドニーに滞在していたときに、イギリス人2人と僕の3人で一つの家をシェアしていたんです。で、オリンピックの撮影を連日ずっとしていたんですけど、ある朝、一緒に住んでいた男性が「これ見て、これ見て」って新聞を見せてきて。
「日本人がメダル取ってるよ」って言われて。「あ、まあ日本人、オリンピックなら取るよね」と思って写真を見たら車椅子の人だったんです。「ん、どういうこと?」って。
よく見ると、オリンピックの中で行われたパラスポーツのエキシビション、車椅子レースの800メートルだったんです。彼に「すごいね、おめでとう」って言われたことを覚えてますね。「あ、すごいことなんだ」って。スポーツ面のトップだったんですよ。
――そのときまで、オリンピックの枠内でパラスポーツの競技が行われていること自体知らなかった。
越智 全然知らなかったです。その選手は土田和歌子さんっていう方だったんですけど、「あ、そうなんだ。これって銀メダルの一つに入るのかな」とか、そんなことをぼんやり考えていた記憶だけは残ってますね。
写真=釜谷洋史/文藝春秋
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。


