撮影自体よりもヒアリングに時間をかけた『切断ヴィーナス』
――『切断ヴィーナス』の撮影のコンセプトはどのように決めたのですか。
越智 自分で構図なんかは絶対に決めない。自分は「プリクラ」なんだっていうのを、最初から芯に据えました。そうすればショーウィンドウに並べるようなことができるんじゃないかなと思ったんです。
銀座の大通りとか表参道にショーウィンドウがいっぱいあるじゃないですか。その人一人ひとりのブランドがあって、それを並べていく、そういうものを作りたいなって。
――一人ひとりの個性を引き出す。
越智 だから撮影自体よりもヒアリングに時間をかけました。話をして、決まるまでずっと話す。決まらなかった方もいたぐらいです。
――どんな要望が多かったですか。
越智 「私、チーターになりたい」とか「この義足のパイプが大好きだから、それを表現したい」とか。それならバイクがいいんじゃないかとなって、義肢装具士の臼井二美男さんの知り合いで、ハーレーダビッドソンに乗ってる義足の方にバイクを持ってきてもらったり。もう、学生のときの文化祭のノリでしたね。
――『切断ヴィーナス』というタイトルは、どうやって決めたんですか。
越智 これも臼井さんと一緒に決めたんです。そのままを掛け合わせようと。「足を切断している人」と、臼井さんが「女性はみんなヴィーナスだ」って言葉。最初は結構賛否両論あったんですけど、慣れてしまえばなんてことないんですよね。最初は「不謹慎だ」とか、いろいろ言われましたけど。
――そうした批判の声は、あまり気にしないですか。
越智 あんまり気にしないです。さっきお話ししたことにつながるんですけど、時と場所によって反応は絶対違うっていうのが、自分の中に染み付いてるというか。写真の評価一つとっても、あそこではいいって言われるけど、ここでは悪いって言われるようなことがたくさんあったので。自分が震えるもの、それを伝えていけばいいやって。
両足義足でオリンピックにこだわったオスカー・ピストリウス選手
――過去のパラリンピックでは涙を流しながらシャッターを切った経験もあるそうですね。
越智 南アフリカの両足義足のランナー、オスカー・ピストリウス選手ですね。あのときのことは忘れられないです。ずっと知っていて、仲のいい選手だったので。彼は、オリンピックに出ることにずっとこだわっていた。多分、あの時代だったからだと思うんです。今の時代とはまた違う。
――どういうことでしょう。
越智 あの時代は、パラスポーツを撮っているカメラマン自体が少なくて。パラリンピックではなく世界選手権になると全然人がいない。あのときもスチールカメラマンは僕一人だけだったんです。
そこで彼が世界パラ陸上競技選手権大会で100m、200m、400mの三冠をとって、世界記録も出したんです。そのとき向こうから声をかけてきて、「写真撮った? ちょうだい。今から俺、ナイキに売り込みに行くから」って。スポンサーをいっぱい付けたいんだと。

