当時は新宗教ブームの真っ只中で、信教の自由や基本的人権を尊重する機運から「宗教団体には手を出しづらい」との風潮があったのは事実だ。とはいえ、神奈川県警の煮えきらない態度は、加害側の麻原をして「警察は大変中立的な立場に立たれて、慎重な正しい動きをしているのではないかと考えている」と言わしめるものであった。
また、当時の時代状況として無視できないのは、1990年の第39回衆議院議員総選挙(2月3日公示/2月18日投票)がある。その前年、1989年8月16日、麻原はみずからを代表者とする政治団体「真理党」の設立届を提出し、総選挙に向けての出馬準備を進めていた。
この時期の教団の社会進出を時系列で並べると、以下のようになる。
・1989年3月1日、東京都に「宗教法人規則認証申請書」を提出
・1989年8月16日、真理党の設立届を提出
・1989年8月25日、東京都知事から教団の「宗教法人規則認証書」の交付を受ける(同月内に宗教法人としての法人格を取得)
・1990年2月18日、衆議院議員総選挙
坂本弁護士一家の殺害事件(1989年11月4日)は、この最中に起きた。つまり、教団が社会から承認を得るための動きと、敵対者を亡き者にしようとする非合法活動が、同時進行で行われていたことになる。
坂本弁護士を殺した張本人が、衆議院選挙にまさかの立候補
この選挙の期間に不審な行動を取ったオウムの信者が、岡崎一明である。
古参信徒の岡崎は、1988年に静岡県富士宮市の富士山総本部道場で在家信者が修行中に事故死した(とされる)際には遺体の焼却に関与し、また1989年には教団を脱会しようとした男性信者の殺害にも関わり、そして坂本弁護士一家殺害事件では坂本弁護士の首を絞めて窒息させた張本人でもある。教団の裏仕事を任されてきた人物であり、オウム真理教の表と裏の顔をともに知り尽くしていた人物と言えるだろう。
その岡崎は、「一家殺人事件」から3カ月後の衆議院議員総選挙に真理党から東京11区(当時の中選挙区)で出馬している。このときは養子先の名字である「佐伯」姓での出馬であった。

