昭和から平成、そして令和に入っても日本では数々の凶悪事件が起きた。人々の記憶に強く焼き付いた未曾有の大事件は、あたかも「知っているのが当然」の一般教養であるかのように語られることがある。

 しかし事件発生から年月を経たことで、「そもそもまったく知らない」という若い世代も生まれ、事件をリアルタイムで経験した世代でも「当時は報道で盛んに目にしたが結果がどうなったのか知らない」といったことが往々にして起こり得る。また、のちに新たな証言や資料が見つかり、それまでの定説が覆されたケースも珍しくない。

 そんな「知っているつもり」の重大事件の、今だからこそ解き明かせる真相を読み解く。今回の事件は新興宗教団体・オウム真理教が引き起こした「坂本弁護士一家殺人事件」だ。

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オウム真理教の代表だった麻原彰晃 ©時事通信社

 本件の被害者は、横浜市の横浜法律事務所に所属する坂本堤弁護士(当時33)、妻(当時29)、長男(当時1)の3人である。1989(平成元)年11月4日、坂本弁護士一家は自宅から姿を消した。このため本件は、発生当初は「坂本弁護士一家失踪事件」として扱われていた。

反オウムの姿勢を明確に打ち出していた坂本弁護士

 坂本弁護士は1989年5月頃からオウム真理教の被害者支援に取り組んでいた。出家した未成年者を教団から取り戻そうとしている保護者たちの相談に乗り、霊感商法の被害者救済に尽力。オウム真理教被害者の会(のちオウム真理教家族の会と改名)が結成される際にはアドバイスもしていた。

 やがて坂本弁護士は、同年10月頃からメディアを通じて反オウムの姿勢を明確に打ち出していく。

「サンデー毎日」(毎日新聞社)が1989年10月2日発売号から7号連続で「オウム真理教の狂気」と題する教団批判キャンペーンを行った際には協力し、また10月16日には文化放送のラジオ番組「梶原しげるの本気でDONDON」に電話で生出演してオウム真理教による被害を訴えるなど、オウム真理教の実態を世に訴え続けたのである。

 このようなメディア戦略の一環として、坂本弁護士はTBSテレビのワイドショー番組「3時にあいましょう」の取材にも応じた。ただ、このインタビューは実際には報道されることはなかった。というのも、オウム側からクレームが入ったからである。