1989年11月に新興宗教団体・オウム真理教が引き起こした「坂本弁護士一家殺人事件」。

 事件発生直後からオウム真理教の関与がささやかれていたが、神奈川県警の初動は極めて鈍いものだった。「事件か自発的失踪かは五分五分」と状況を見誤り、実行犯からの情報提供があったにもかかわらず遺体の捜索を半日で切り上げて発見できていない。

 その背景には、多くの人が忘れている「時代の空気」が大きく影響していた。今だからこそ解き明かせる事件の真相を読み解く。

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麻原彰晃 ©時事通信社

 なぜ警察はオウム真理教に対して及び腰だったのか。

 そもそも戦後日本の宗教政策は、戦前の国家による宗教統制への反省点を出発点としていたため、信教の自由や、宗教団体による自治を非常に重んじており、団体内でどのような活動を行っているかを把握することに制度的な限界があった。宗教への介入が、信教の自由の侵害と受け取られる可能性が高かったのである。そうしたことから「宗教団体には手を出しづらい」と思われていたようだ。

CamCamやPOPEYEで宗教特集が組まれ、オウムも登場した時代

 くわえて世間のオウムへの見方が、衆議院選挙を境に大きく転換したことも大きい。それまでは霊感商法への批判や、坂本弁護士一家事件の疑惑も報じられていたが、衆議院選挙への出馬でそういったイメージは影を潜め、「風変わりな集団」として面白がられるようになっていく。

 たとえば雑誌メディアを例に取ると、衆議院選挙以前であれば「ムー」(学研)や「トワイライトゾーン」(ワールドフォトプレス)といったオカルト専門誌に、オウムみずから広告を出稿して麻原彰晃名義の署名記事を寄稿するものが多く、一般誌で扱われることはほとんどなかった。

 例外的なのは、「SPA!」(扶桑社)1989年12月6日号である。「“狂気”がなければ宗教じゃない」と題した記事で、内容は宗教学者の中沢新一と麻原彰晃の対談であった。この対談は坂本弁護士一家殺人の直後、麻原がボンに旅立つ直前に行われている。ちなみに、この記事タイトルは「サンデー毎日」のキャンペーン報道「オウム真理教の狂気」に対するアンサーであると考えれば、極めて挑発的なものといえるだろう。