麻原に反旗を翻し、1000万円を要求した男の末路
殺人の実行犯が選挙に立候補している事実も驚きだが、選挙期間中の2月10日、岡崎は妻(女性信者)とともに3億円(現金2億2000万円と残高8000万円の普通預金通帳)と実印、さらには教団の大師マニュアルや重要書類などを持って教団から脱走を図った。
なお、岡崎は現金を宅配便で知人宅に送ろうとしたが、事態を察知した教団が「犯罪に関係しているので」と配送業者に要請し、教団が取り戻すことになる。
だが、岡崎の造反はとどまらない。投票日の2日前である2月16日、神奈川県警や横浜法律事務所に坂本弁護士の長男の遺体遺棄現場を示す写真や地図、手紙などを新潟県上越市の郵便局から速達で送付したのである。さらに、東京駅から坂本弁護士と妻の遺棄現場の資料を神奈川県警や横浜法律事務所に宛てて投函。そこで麻原に電話し、口止め料として1000万円を要求した。
岡崎は教祖を強請ったのである。
岡崎が教祖恐喝に及んだのは、これまで教団の裏仕事に従事してきたのに、宗教法人格を取得した際に役員からは外され、このままでは自分が使い捨てにされると危機感を抱いたからとされている。
岡崎の脅迫に対して麻原は、持ち出した金から使い込んだ金額を差し引いた現金830万円を支払うことで手打ちとした。これにより岡崎は、坂本弁護士と妻の遺棄現場を記載した手紙を横浜の郵便局で回収。結果的に、長男の遺体遺棄に関する資料だけが、神奈川県警と横浜法律事務所に届くのであった。この恐喝事件を経て、岡崎はオウム真理教からは距離を置くことになる。
なお、衆議院選挙での岡崎の得票数はわずか217票だった。
選挙の3日後の1990年2月21日、神奈川県警からは4人の捜査員を派遣し、長野県警とあわせて45人体制で捜索を開始した。岡崎が送ってきた地図の示す場所で長男の遺体を捜索したものの、わずか半日で打ち切られてしまい発見できなかった。このような警察の消極的な態度も影響し、捜査は暗礁に乗り上げる。
その一方で、「坂本弁護士と家族を救う全国弁護士の会」をはじめ、情報提供を求める地道な活動は続けられた。しかしながら、これ以降、本格的な捜索は再開されることなく、本件の全容が明るみに出るのは事件発生からおよそ6年後。1995年3月20日に地下鉄サリン事件が起き、教団絡みの犯罪が白日の下にさらされて以降のことであった。
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