一見すると、内容に新味はない。農業革命に代表される、太古から繰り返された画期的な変化の延長線上に今日の情報革命を捉える人類史観と、ITとAIが人間の位置づけを変え、その社会的な役割を不要にするかもしれないという未来予測。ともに、どこかで聞いたことのある話だ。
むしろ本書の魅力は、歴史上現れては消えていった種々のイデオロギー(「思考の前提」くらいの意味にとってほしい)について、そのどれにも捕らわれず、かといって蔑視もしない著者の姿勢にある。凡百の「自由民主主義の時代は終わった」式の書物と異なり、著者はその限界を知りつつも、自由を愛している。
たとえば著者は科学革命の時代、宗教戦争に狂奔するヨーロッパがイスラムのオスマン帝国よりはるかに不寛容な社会だったことを、あっさり認める。あるいはナチズムさえも「進化論的な人間至上主義」と抽象化して把握し、ビッグデータの分析によって人間の選好に優劣づけ(たとえば健康維持の観点から見た、正しい趣味/間違った趣味)ができるかもしれない現在、それをむげに棄却できないことを示唆する。
こうした自由さは、欧米人のみならずイスラム教徒の思考をも根底で拘束する「一神教」の相対化にまで及ぶ。自己と唯一神との関係という、一元的な尺度だけで世界を解釈する中東起源の発想は、ギリシア文明や漢籍の歴史書に見られる多元的な視野に比べても元来、特殊で偏ったものだったと位置づけられる。
西洋近代は、この特殊な思考法から神までも追放し、自分自身の意思と感覚のみを価値基準とする「人間至上主義革命」によって発展した。しかし今や、本人には意識化できない情動を捉えうる脳科学の発展や、「いいね」の履歴から本人以上にその嗜好を熟知してしまうITサービスの台頭により、「私のことは私が一番よく知っている」とは言えない社会が生まれつつある。それは人間が動物や自然物と並んで、世界を織りなすモノのひとつに過ぎなかった、農業革命以前のアニミズムの世界へ戻ることなのかもしれない。
サンデル・ブーム以来、海外のベストセラー学者を遇する際の悪癖によって、本書の著者についてもまた、その「才能」を神輿に担ぐ風潮が出てきたようだ。しかし、著者の思考をかように自由たらしめた環境――その筆致に影を落とす「イスラエルでゲイであること」も含まれよう――に思いをいたすこと、そちらこそが本書に内包された、サピエンスの叡智を受けとる作法にほかならない。
Yuval Noah Harari/1976年生まれ。イスラエルの歴史学者。エルサレムのヘブライ大学で歴史学を教える。前著『サピエンス全史』(2011年)は世界800万部のベストセラーに。続く本書(2015年)も既に400万部を突破しているという。
よなはじゅん/1979年生まれ。元公立大学准教授。著書に『中国化する日本』『知性は死なない 平成の鬱をこえて』などがある。