舞台やドラマでは脇役だった

 一方、舞台やテレビドラマといった顔を出す仕事ではもっぱら脇役で、たまにそちらの仕事の依頼が来ても、声の仕事と予定が重なった場合、脇役に合わせてスケジュールをずらしてはもらえないので、そのまま流れてしまうことがよくあったという。そうなると劇団としても、彼女を遊ばせておくのはもったいないと考えてか、ますます空いているところを声の仕事で埋めるので、気づけばスケジュールの大半を占めるようになっていた。

 1963年1月には国産初の本格的な連続テレビアニメとして、手塚治虫の虫プロダクション制作の『鉄腕アトム』(フジテレビ系)の放送がスタートする。野沢も同作で初めてアニメに出演した。単発での出演で、このときも少年役だったという。

『鉄腕アトム』は無事に毎週放送され、ヒットしたため、このあと続々とテレビアニメが放送されるようになる。“東洋のディズニー”を標榜して劇場用アニメを手がけていた東映動画(現・東映アニメーション)も、1963年11月スタートの『狼少年ケン』(NET=現・テレビ朝日系)を皮切りにテレビアニメの制作に乗り出した。同作にも野沢は少年役でたびたび出演した。

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 野沢が初めてレギュラー出演したテレビアニメである『宇宙パトロールホッパ』(NET系、1965年放送開始)も東映動画の制作だった。同作で彼女が演じたのはプーというキャラクターだ。主人公のジュン役は子役の南谷智晴が務めたが、中学受験のため途中で曽我町子と交代し、番組名も『パトロール・ホッパ 宇宙っ子ジュン』に変更されている。

野沢雅子初のレギュラー出演作『宇宙パトロールホッパ』(1965年〜)

 ちなみにジュン役を最初に演じた南谷智晴とは誰あろう、改名して現在も声優として活躍する中尾隆聖だ。野沢とは後年、『ドラゴンボール』シリーズのフリーザ役で長らく共演することになる。